Comments by Dr Marks

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ポーラ・フレデリックセンと彼女の『アウグスティヌスとユダヤ人たち』についての雑感(いつもの「ごまかしブログ」だから信用しないように)

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Richard Landes (ex-husband) Paula Fredriksen (herself, recent image) Alfred Tauber (husband)

書評というのではない。まだ読み終わっていないし、読みにくい本だ。ただ、このテーマは近年また流行っているから知っておくのもいいかもしれないから、斜め読みした結果で、簡単に内容を紹介する。なお、本書は売れそうにもないので、絶対に日本語訳など出ないと思うから、英語で読むしかないだろう。

そんなわけで、今回は英語でしか読めないこの本だけではなく著者についても簡単に紹介して「ごまかしブログ」とする。そうそう、このブログを書くきっかけだが、今秋の学会で「大学に職を得ることと自分の研究テーマを選ぶことに関する学生と若手のセッション」に彼女が59歳で最年長者として出席することを数日前に書いたら、本書を2年前に出版社から寄贈を受けていたことを思い出したのと、あがるまさんが美人だなどとコメントしたからといういい加減なものである。すまん。本は下記のとおり。

Augustine and the Jews: A Christian Defense of Jews and Judaism

Augustine and the Jews: A Christian Defense of Jews and Judaism

大部の本だが3部に分けられる。また、四分の一のページは、小さな字の詳細な註である。彼女は神学者でも聖書学者でもなく、基本は歴史学者であるから、その視点から書かれていることを忘れてはならない。元々、原始キリスト教史が専攻であるが、キリスト教徒の家に生まれながら、最初の結婚からユダヤ教に改宗しているため、ユダヤ教キリスト教の交流が関心となっている。

第一部は「アレクサンダー(大王)の遺産」と題して、グレコローマン地中海世界が克明に記述される。あまりの冗長さにこの辺りで読了(投了?)するかもしれない。しかし、古代世界に既に詳しいならともかく、そうでない場合はがまんして読み続けて今後に資することもいいだろう。考えてみれば、アウグスティヌスが生を受けたのは、コンスタンチヌス帝がキリスト教を容認(312年)してからそれほど間がないとき(354年)であった。

第二部は「放蕩息子」と題したアウグスティヌスがヒッポの司教になるまでの話だ。早熟で聡明な北アフリカの少年がさまざまな思想や女にふれ、結局はイタリアに渡りローマを経てミラノでアンブロシウスと出会うことや、母モニカがオスチアの港で死に、とうとうアフリカに戻れなかったことなど、おなじみの話を通じて彼の『告白』など諸々の著作の分析が始まる。彼の洗礼は、キリスト教徒となるだけでなく、世俗の教授職を捨て、あらゆる女性と手を切り、神学者となる契機であった。

第三部が「神とイスラエル」で、本書の中心となる。アウグスチヌスまでは(それ以降も中世に至るまでは)現実のユダヤ人はローマ市民として自由な生活を認められていた。それはコンスタンチヌス帝以降もしばらくは変わっていない。しかるに後世の人は、アウグスチヌスの著作における神学的議論での "rhetorical Jews(修辞的あるいは比喩的ユダヤ人" 攻撃を誤解しているが、けっして現実のユダヤ人攻撃ではなかった。彼自身は、「ユダヤ人を殺すな」とは言ったが、「しかし、はびこらせてはならない」などと言ってはいない。

このように、詩篇59:12からの解釈で「彼ら(ユダヤ人)を殺してしまわないでください。わたしの民(キリスト教徒)があなたの力を忘れないように」が中心テーマになる。この視点は必ずしもオリジナルな見方ではないが、フレデリックセンの個人的体験からの捉え方(本書の記述内容)自体は彼女のものである。

彼女は自称アウグスチヌス研究者でもあるが、それはウェルズリー女子大学の学生のときからであると後書きに書いている。同じ後書きに書いてあることが面白い。彼女のようなベテラン研究者でも1993年のエルサレムでの学会では、十分な準備が進まないまま飛行機に飛び乗った経緯が書かれているのだ。

飛行機で読むため、アウグスチヌスの『ファウストゥス反駁』の現代語訳をバッグに突っ込んでいくがなかなか本意がうまくつかめない。発表前夜になってホテルで何度も何度も発表原稿に手を入れる。おのおの方にも分野は違っても経験者はいるはずだ。泥縄だよ。しかし、そのような切羽詰まった状態でこそ、閃きはあるというもの。その後15年ほどの歳月をかけて本書ができたらしい。

本書は扉に「ゼヴに捧げる」とある。ゼヴとは誰かというと彼女の現在の夫(医学者で科学史家)アルフレッド・トゥバーのことである。しかし、どうしてゼヴなのか。ゼヴはゼベダイとかゼヴがつくユダヤ人名の省略形であるが、彼のミドルネームはイムレであってゼヴではない。さて、どこから来るか。私のトンデモ説:アルフレッドはウルフレッドなどとも言う。ヘブル語でウルフ(狼)はゼィヴという。∴アルフレッド=ゼヴ。たぶん当たり。

そこで彼女の私生活をちょっと。大学院の学生だったときにリチャード・ランディス(歴史家)に会って、カトリックからユダヤ教に改宗して結婚する。つまり、彼女は結婚によるユダヤ人。ランディスは急進的な反パレスチナユダヤ人であり、「パリウッド(パレスチナ人自作自演の反ユダヤ報道の意味)」という言葉を造語した活動家。彼女は離婚して現在の夫ゼヴ(アルフレッド・トゥバー)と再婚したが、そのときこの夫には4人の前妻との間の子があった。彼女も前夫も現在の夫もすべてボストン大学の教員。おっと、ゼヴもユダヤ人ね。

そうそう、Twitterで自由意志の議論があったが、純粋に理論的に究明しようとしても埒はあかない。なるべくなら、アウグスチヌスのこんな本を読んで状況を把握してから考えてみるのもよいような気がする。読んでいて(斜め読みでも)ちょっと飽きちゃったのだが、書架に納めずに机上に置くことにする。拾い読みで何かを発見したら、そのテーマだけで書くかもしれない。