Comments by Dr Marks

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「草や藪に覆われて、もはやちゃんと直立した墓石など実際にはなくなってしまったのだが・・・」(博士の訳した小説からの抜粋)


Jewish cemetery, Brody, Ukraine,© 2006. Photo: Ruth Ellen Gruber
また、そこにはシナゴーグユダヤ教の礼拝堂)もいくつか建っている。それらは、会議場でもあり、礼拝場でもあり、ユダヤ人の子供たちが律法の書を学ぶ町の学校でもある。子供たちとラビ(ユダヤ教聖職者)たちが祈祷する際の騒がしさといったら、つんぼにならないのが不思議なほどである。女たちが行く沐浴場もそこにあり、身寄りのない年寄りの終の住家となる貧者の館や、そのほかの公共の施設もそこにある。だが、上下水道や電気などという贅沢なものは、カスリレヴカ人には無縁である。まさか、そんなものがこの町あるはずはなかった。

しかし、そんな不自由や貧しさは町の者にとって何でもない。どこで死のうと人が死ぬのは同じだ。同じように土に埋められ、スコップで土饅頭を叩かれて終わりではないか。我らがラビで、イスラエルという名の先生は、結婚式などのめでたい祝宴でワインを何杯か飲み干し、長い上着の端を手繰り挙げてカザツキー・ダンスを踊る頃には、よくそう言っていたものだ。

そんなカスリレヴカの町が本当に誇れるものは墓地だ。幸いなことに、町は立派な墓地を二つも持っている。古いのと新しいのだ。新しいほうといっても結構古くなっていて、相当な数の墓石が立ち並んでいるから、ほどなく、埋葬できる余地はなくなるかもしれない。なにしろ、我らを不幸に陥れるポグロムユダヤ人虐殺運動)か何かがまた勃発しかねないご時世であるからだ。

どちらかと言えば、カスリレヴカの連中が自慢するのは古いほうの墓地だ。この古い墓地は、草や藪に覆われて、もはやちゃんと直立した墓石など実際にはなくなってしまったのだが、連中は、それでもまだ宝のように宝石のように財産の一部のように大事にして、自分たちの目に入れても痛くない子供のように守り続けている。というのは、その墓地にラビや信仰深い人々や教育のある者、あるいは学者や有名人である先祖が眠っているからだけではなく、その小さな土地だけが、彼らが地主となっているものだからだ。彼らが所有できたのは、草が生え木が生い茂り、空気は澄み、人が思う存分に呼吸できるこのちっぽけな土地だけなのだ。