Comments by Dr Marks

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Maundy Thursday 聖木曜日のチャペル

昨日と話変わってキリスト教の話題。今日はMaundy Thursday(モーンディ・サーズデー)だ。Maundyには聖とか洗足という意味はない。単に命令という意味があるだけである。この日はイエス・キリストの「最後の晩餐」の日であり、弟子たちの足を洗った。

ここ米国聖公会系の学校には、色の濃い学生は結構いるが純粋なアフリカ系の黒人の姿が見当たらないと思ったら、その穴埋めはチャプレンの中にちゃんとあった。数人のチャプレンのうち、親分株が黒人だ。一度、構内ですれ違ったときニコニコ顔で挨拶した男だ。そのとき彼はハイカラーを付けておらず、ふつうの背広だったのでわからなかった。

そう。今日は神妙にチャペルタイムに出てみることにしたのだ。すると、その黒人の司祭がなかなかよい説教をしていた。礼拝は整然とし、会堂への入室前はアメリカ的に騒がしいが、いったん入室すると突然皆口を閉じ、静かに席について礼拝の開始を待っている。

そろそろ、噂が出ていたらしい。私はチャペルタイムに自室に籠って出て来ないと。実際、礼拝後にチャペルを出たら、ある学生が「ウォーターマン先生は一度も礼拝に出て来ないだろう」と言うと、別の学生が「しっ、今日は出ていたじゃないか」と言っているので、彼らを見て「にやっ」と笑ってやった。

なかなかいい礼拝なのでまた来てみようと思ったが、途中、顔見知りの教員に追いついたので、「あなたの宗教または教団は何ですか」と聞いてみた。彼、答えて曰く、「ゼロですよ」、すなわち無信心。教員や学生を宗教で差別できないから何でも受け入れるのはわかる。しかし、無信心でもチャペルタイムへの出席を強要している観がある。

もっとも、信仰とは別にチャプレンの話に興味をもって自主的に出ているのなら頷けないことはない。確かに彼は、礼拝の間、信仰の告白もしないし、賛美歌も歌っていなかった。まぁ、それで追いついて聞いてみたわけなのだが。