Comments by Dr Marks

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Entries from 2008-02-01 to 1 month

ロドピ社(Rodopi)が謝罪!

ロドピから丁寧な詫び状(e-mail)と1982年当時の混乱の状況説明が届いた。社内の役割(肩書)はわからないが、Lia Hestina さんという人の説明によれば、印刷工程あるいは編集工程のミスで間違った題(Die Idee . . .)で出版してしまった。著者竹田先生の…

ロドピ(Rodopi)というオランダの出鱈目出版社に注意!

留守の間にいろいろとコメントありがとうございます。私のたかが分家のブログですし(あるいは、ですが)、ご自由にお書き込みください。なお、新規にコメントくださった bodkin 様、今後ともよろしくお願いいたします。ボドキンといえば、ご在英ですか?(…

ア コメント オン コメンツ

ちょっとコメントします。めずらしく(失礼)南都さんが心にかかるコメントをしていますので何か言っておきたいと思ったからです。今年もやたらにユダヤ人の顔が目立つアカデミー賞のテレビを横目で見ながら、夕食後の一時にこの自分のブログと猫猫先生のブ…

傍観者によるコメントという形容矛盾について

警告:私のブログでは、どなたでもコメントとして何を言ってくださっても構いませんが、実在する方の名前(HNを含む)になりすましたり、その方を連想させる名前でコメントしていることが明らかな場合、その方に迷惑がかかりますので削除します。言ってい…

世間知らずの田舎者ないしアフォ娘の世迷言

コメントへのコメント:以下の記事を書いてから、寝ている間にいろいろなコメントをいただいた。皆様に感謝いたします。私へのコメントというよりは、コメントをくださる方々同士の会話があり、私が埒外であることもありましたが、少し私も参加させていただ…

Dr. Marks のまだ題のない小説(その18)

“Il faut être, en effet, bien fou, bien audacieux, bien outrecuidant ou bien sot, pour écrire encore aujourd'hui!”「今どきものを書くつもりなら、本当のところ、よほどの気違いか、よほどの向こう見ずか、よほどの傲慢か、はたまたよほどの馬鹿者で…

牛に引かれて善光寺

聖書にはほふり場に引かれる牛はいても善光寺に連れて行くような牛は出てこない。当たり前だが、今回、小谷野先生に誘われて野上弥生子の孫の本を買うことになった。いや、この本だけなら買わないが、ちょうど買う本が重なったのでついでに注文した。(10ド…

ぎっくり腰の上に腰を抜かさんばかりの事件

事件というのは大袈裟だが、論敵が専門誌の書評欄にオイラの本を取り上げた。どちらかというとオイラが先に彼を攻撃した。そのときのオイラの調子よりは柔らかいので拍子抜けだが、最初に自分の本の名前を見つけただけで「おっ、また誰かがオイラを取り上げ…

ぎっくり腰でトホホのコメント

このところ精神的に混んでいた(客観的に忙しいのとは別)せいか、久しぶりにぎっくり腰で動けない。動けないのに少しよくなったので数行書き込むことにした。知恵の歯(←英語での親知らずのこと)があり過ぎてどうやら虫歯らしい。私の歯は知恵の歯以外はす…

Dr. Marks のまだ題のない小説(その17)

白系ロシア人か。東大の大学院生が人種だと思っていたのね。今どき常識のない東大大学院生もいることはいるのだろうが、常識そのものも変わるからね。私みたいに1900年代オタクなら、白系ロシア人は常識の範疇にあっても、今の人の常識は別の方を向いている…

Dr. Marks のまだ題のない小説(その16)

結局、明日から2月で、私の状況はますます厳しくなるのだが、que será, será。なるようになって、人間は何よりもバランスが大事だから、小説はときどき書いて遊ぶことにした。とは言っても、歴史小説なので、仮名の主人公以外は、実名や実名を匂わせる歴史…