Comments by Dr Marks

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傍観者によるコメントという形容矛盾について

DrMarks2008-02-18

警告:私のブログでは、どなたでもコメントとして何を言ってくださっても構いませんが、実在する方の名前(HNを含む)になりすましたり、その方を連想させる名前でコメントしていることが明らかな場合、その方に迷惑がかかりますので削除します。言っている内容が正論であっても削除します。
 ついでですが、私の記事の Sueo Takeda とは、1915年生まれで信州大学教授だった「竹田壽恵雄」先生のことであって、武田の姓の他人には関係がありません(武田は甲州だよ)。私の記事などろくに読んでいないことなどはどうでいいのですが、関係者を愚弄することになりそうな、そのようなコメントもお慎みください。(頓珍漢と思われるだけだから、そんなのは消してやらないよ。頼まれたら消すけど。俺って、根が優しいから。)
 新しい記事は来週まで待ってください。竹田先生の本は図書館で2冊、1冊自前で、計3冊読んどきます。いずれも独文ですが、日本語版がありそうですよ。興味があったら自分で探してください。なお、先生の小説はいずれなんとかしますが、今は入手が無理だな。それから、竹田先生は学位なんて超越しているから、博士号なんか取らなかったのに、皆さんよく勝手なことを言うよ。(でも、そういう「勝手なこと」も必ずしも悪くはないでしょう。少なくとも悪意はないのだから。加来先生も取ってないな‥‥。瀬籐賞の瀬籐先生だって、夏目金之助先生だって、博士号くれると言われてももらわなかったよ。博士以上の実力があれば今さら博士号なんてフンなんだ。何にもわからない他人がアフォ面見て、「アフォー」と言ってもらっては困るから博士号なんか取るんだな。ほら、右上のアフォ面。)

お知らせ:南都さんが最新のコメントで述べていることは、私の本家のブログの以前の記事に寄せられた(http://markwaterman.blogspot.com/2007_12_21_archive.html)の23番目のコメントのことです。
 竹田壽恵雄(Sueo Takeda)先生のお嬢様からのコメントです。そこに簡単にレスしましたが、私は今徹夜仕事を続けていますので、しばらく後に正式に紹介するつもりです。彼の本はドイツ語で書かれため、私の関係する複数の大学で所蔵しているのを参照できますから、しばらくお待ちください。やはり専門書は英独仏のどれかで書かれている限り、日本で知られていなくても、世界的にはかえって広まっているものだと実感します。竹田先生は、お嬢様の話だと晩年に小説を日本語で書かれたそうです。それにも興味があります。


小説を続けたり記事を書く時間がないなどと言っておきながらの「駄文」ですまん。カレンダーを見てみると2月は書かない日のほうが多い。本家のブログに至っては、今月は開店休業状態だ。いや、忙しいだけではない。腰痛で長時間コンピュータの前に座れないのだ。立ってする授業のほうが楽。楽といっても腰は疲れるので帰ったら横になる。徐々によくなってはいるが完璧ではない。バックパックを背負うのは無理なので、今春のイスラエルに行く予定はキャンセルだ。金がないからちょうどいいナンテネ。

傍観者からコメントもらっちゃった。いいえ、もらって悪いということではない。批判的書評と同じで、何にせよ注目してくださったことには感謝している。もちろん、その内容が厳しくたって、それを覚悟の公開ブログなのだから構いはしない。私の口が悪いのは本当なのだから、自業自得であることも仕方あるまい。

前の記事に、随分と長いコメントのチェーンができてしまったことも、新たに「駄文」を書かせる動機となったのではあるが、「傍観者」(bystander)というハンドル名(あるいは匿名)でコメントが来たことが面白かったので一言。日本語の傍観者もそうであろうが、英語の場合は傍観者がコメントなどしたら傍観者でなくなるから、この方「元祖傍観者」はどういう料簡あるいは認識で傍観者と名乗ったのであろうかという興味が湧いた。

社会心理学(田崎先生元気かな?)でも、bystander effect という概念があるくらい、無責任で、自らは関与しようとせず、他人の評価を恐れ、現状に無知であるのが「傍観者」なのに、何ゆえこんな自らを卑下するような名をわざわざと思ってしまった。自虐趣味なのかもしれない。写真のごとく、私自身が余りにも pompous(←適訳が出てこないのでごめん、辞書引いてね)なのに、他人がそうなのは嫌いなので、自虐的なシャイな人は好きだよ。だから、匿名でも何でもOKだ。またいらっしゃい。

「通りすがり」とか「通りすがりの者」というハンドル名(ないし匿名の名乗り方)があることは、2006年の夏から日本のブログを覗いているので知ってはいる。しかし、通りすがりの者と傍観者とはまったく違うものだろう。通りすがりの者ならば、通りすがりに見聞きしたものに何か反応するということはありえる話であるが、傍観者はあくまでも傍観者であって、コメントしたとたんに傍観者ではなくなる。だから、「傍観者のコメント」ということ自体、「熱い氷」のごとく形容矛盾的不可解な概念となる。

(写真は昔一度不鮮明な写真で出したことのあるガウン姿の Dr. Marks。前よりは鮮明に見えるかな? 壇上で相手をしっかり見据えて「何でも来い!」と歯を食いしばっているというか、余りにも余りにも pompous な Dr. Marks)

追加:あーあ、加来先生の本にも間違い(ミスプリントとかではない)見つけちゃったよ。多分、いや間違いなく、加来先生の認識の誤り。これは直接申し上げる。返り討ちに遭ったりして。(クロイの奴も俺の本の間違いページを羅列していたな。「間違い」といったって、あくまでもクロイ先生がそう思うのであって、私が間違いだと思ってはいない。ドキッとしたり、納得できる鋭い指摘があったことは確かだが。)