Comments by Dr Marks

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Dr. Marks のまだ題のない小説(その18)

DrMarks2008-02-13


“Il faut être, en effet, bien fou, bien audacieux, bien outrecuidant ou bien sot, pour écrire encore aujourd'hui!”

「今どきものを書くつもりなら、本当のところ、よほどの気違いか、よほどの向こう見ずか、よほどの傲慢か、はたまたよほどの馬鹿者である必要があるだろう。」(Dr. Marks 訳)

だとさ。モーパッサンが『ピエールとジャン』の前書 “Le Roman” (小説論)で言った台詞で、オイラのお気に入りのフレーズだ。まっ、その内のどれかに当てはまるというよりは、たいてい全部に当てはまるのが小説書きという変人なのかもしれない。あえて、その仲間入りしようとする者には、「命知らず」くらい付け足してもいいのかもしれない。

ユダヤ人ならカナンの地、すなわちパレスチナではないかとお思いでしょうが、それを言っちゃカナンの前のハランの地はシリア、アルメニアになって今のトルコの東部だし、その前を言えば、アブラハムはユーフラテス川の畔ウルの地の出身だから今のイラクの出ではないか。あの辺り一帯は要するにセム族の本来の地であって、約束の地カナン以外に住んだからといってユダヤ人でないことはない。カナン以外に住むユダヤ人をディアスポラと言うが、パウロローマ市民権を持っていたがアナトリアのタルソ(Tarsus, Tarsos)の出で、今のトルコの町(Mersin)の産なのだ。

(写真は宇宙から見た黒海。この海の下〔南〕がアナトリア〔トルコ〕。)

 欧州にアッベ博士と旅したとき、スイスまでは至ったが、地中海地方にまで足を伸ばすことはなかった。アメリカの広大な国土を考えればそのままイタリアに下って地中海は直ぐのはずだったが、博士の予定がつかずアメリカに帰国した。アッベ博士によると、博士の先祖は、そして結局は妻アンの先祖もだが、ドイツ、オーストリアに安住の地を求めたが、確かなところでは、アナトリアに住むユダヤ人であったところまで遡ることができるということだった。
 そのとき私は、アナトリアがどこであるのか知らなかったので博士に聞き返すと、要するにトルコの小アジア半島だということだった。博士も未踏の地であるし、先年のギリシアとの戦いも収まったときなので、先祖の地を尋ねるのは絶好の機会ではあったが、「残念ながら今回は断念しよう」と実に悔しがっていた。


 今、そのアナトリアという地名を思い出している。アッベ博士はともかく、私が訪れることは難しい気がする。アナトリアとはギリシア語による古い言い方で、地中海と黒海に挟まれた「日出ずる所」あるいは「東の国」という文字通りギリシアから見れば日が昇る東の国である。ところが、物知りの博士によると、トルコ側の解釈では、Anaとは母親のことであり、「母親に満ちた所」という意味だそうで乳や蜜が豊かな土地であるらしい。アッベ博士のいとこにあたるアンの母親は、この先祖の話が好きで、娘にアナマリー(Annamarie)すなわちアン(Ann)の本名としたらしい。博士のこの話は、アンからも聞いた。
 父親ばかりか母親まで早くに亡くした私にとってアンはまことに母親のような安らぎを誰にでも与える女である。しかし、その優しさは、岡本理学士にとっては苦しみであり、その苦しみを知った私にとっても心安らかならぬものを覚えることとなったのである。


 恐らく、これほど天真爛漫な女は、誰にでも見境なく懸想するような男ならいざ知らず、恋慕してはならぬと己が心に十重二十重の縛りをかけつつも、愛着の煩悩に身を焦がす者の、耐えに耐え、押えに押えた胸の内など思いもよらぬであろう。もし、そのことを知りつつも素知らぬふりをするならば、愛苦に身もだえするこの男に勝って苦しむ心優しき女か冷血の夜叉に違いあるまい。
 アンは鬼ではない。愛されて在る愛のアルカディアあるいは歓喜のパラダイスの内で楽しむのではなく、皮肉にも人知れず苦を味わわざるをえない女のほうであろう。そうであればなおさらのこと、アンを密かに思慕する男が可哀想であることはともかく、人知れず苦しむアンの、私以外の男に向けられたその優しさに、不覚にも嫉妬の気持ちが湧き上がるのを認めざるをえないのであった。
 しかし、この勝手な煩悶を癒してくれるのもアンであった。まさに苦楽同源。苦しみあり安らぎある日々は続いた。


 ワシントンにスタインウェーのピアノを置いてきた妻は、約束だからといって東京でのピアノの入手をせがんだ。十字屋に問い合わせるとスタインウェーは思った以上に高く、とても手が出なかったが、西川という日本人が輸入材料で組み立てた立て型のものなら百円以下で買えるということだった。アンが試しに弾いてみたが、予想以上に良い音なので購入することにした。それでも幾ら安いと言っても教師の給料では無理であったのだが、アンがまさかのときのために持参した米ドルを換金してなんとか支払うことはできた。
 このピアノの音色が私の心を休めてくれた。喜世も少しずつアンに習っており、こちらの音には閉口することもしばしばだが、若いアンと喜世が一緒になって笑い興じながらのレッスンは、胸の心身ともに出来する苦しみをしばし忘れるほどであった。実に女は母なるものである。老若問わず、母なるものは女である。アナトリアはどこにでもあるのだろう。


 朝にミルクを飲むが、夜も飲むことにしている。ただし、夜の牛乳は、歯を悪くしないように飲んだ後に十分に口をゆすがなければならない。ミルクは心を和ませて自然な眠りに誘う。ナイトキャップと称して、アメリカ人も寝酒をする者が多かったが、私には合わなかった。悪い心臓のせいで余計苦しくなり、眠ることさえできなかった。ところが、夏の間に、暑い午後にミルクを飲して眠ると心地よいことに気づいた私が妻にそのことを告げると、当たり前のように「そうよ」と応じて、今さら何をと不思議な顔をする。
 なるほど、赤子が赤子だから乳を飲んで眠るのではない。人は皆、乳を飲めば心安らかに眠ることができるのだ。安らぎはすべてがアナトリアの母に通じている。