アデーラ、お前もか(11月11日の記事補遺)
Mark: A Commentary (Hermeneia)
- 作者: Adela Yarbro Collins,Harold W. Attridge
- 出版社/メーカー: Fortress Pr
- 発売日: 2007/10/15
- メディア: ハードカバー
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現在もエール大学の教授だが、64歳にもなると(1945年6月生まれ)、もう怖いものはない。ケスター先生であろうが何であろうが批判してしまう。人にもよるが、自分が聖書学を志した頃の思いに戻るのだろうか。いや、意外と伝承や伝統が、それほどいい加減でなかったということに気付くような気がする。さまざまな面倒な学問的議論以前に、そんな予感(hunch)があるのではなかろうか。
先日紹介した記事の中で、今年ニューオーリンズで発表する予定の彼女の予稿を読んだ。どうも大物となると、このような機会を捉えて、己の持論や著作の(宣伝というよりは)ディフェンスを行うことが多い。この『マルコ伝の前と後の受難記事(The Passion Narrative before and after Mark)』というのは、結構長い前置きや問題の背景を取ってしまえば、自分の先生のケスター教授や、彼のお気に入りのクロッサン(John Dominic Crossan)批判である。
彼らは、外典の『ペテロの福音書』が正典の四福音書に先んじる(とくにクロッサンにおいては、その理論的・仮想的福音書である『十字架の福音書、Cross Gospel』)と主張するが、それは間違いである、とアデーラおばさんは主張する。むしろ、マイヤー兄い(John P. Meier)たちが繰り広げる単純な理論が妥当なのであり、『ペテロの福音書』などは、何度も何度も四福音書や説教などを聞いているうちに、それらのデータをリサイクルして練り上げたパスティーシ(pastiche、寄せ集め)だと考えているらしい(ただし、これらの用語は、Léon Vaganay と Jerry McCantのもの)。
多分、会場にはケスターもクロッサンも来ないだろうな。来ると面白いが。さて、冒頭の本は、彼女の2年前の力作『マルコ伝の批判的注釈』。800ページだよ。高いよ。