Comments by Dr Marks

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ショローム・アレイヘムの小説『永遠の命』(第一回)

忙しく記事ができないときには翻訳小説を掲載する。新聞小説の数回分の量にした。この小説に関しては無断転載を禁止します。

聞いてくださるんなら、かつてわが身に降りかかった苦労がどんなものかお話しましょう。いや、苦労なんてものじゃない。まったく、すんでのとこで死ぬところだったんだ。またどうしてそんな破目にと、きっとお思いなさるでしょう。ただ単に、私が世間を知らぬ若者で世事に疎かったというだけですよ。もっとも、そのことに関しては、今でも賢くはないかもしれません。なぜって、賢いようなら今までに多少の財は築いているはずです。ことわざでには何と言いましたかね。そうそう、金があるようなら、賢いだけでなく、いい男ぶれるし、夜鳴き鳥のようにだって歌える、ってんじゃないですか。

ええ、私は義理の父母と暮らす若者の一人でした。まあ、あの頃は、若い新婚夫婦はそんなふうに暮らしたものです。しかも、同様にあの頃の習慣で、私は日がな一日シナゴーグ*1に座ってトーラー*2の勉強してればよかった。時たまには聖書ばかりじゃやりきれんので俗世の本もちっとは見ましたよ。義理の親父やお袋には見つからんように内緒でやってた。義父は義母ほど厳しくもないのだが、一家を実際に取り仕切ってる女というのは怖いからね。あんたもわかるだろう、尻に敷かれてるのは男さ。義理のお袋は何でも自分で決めてたようだ。自分の娘らに婿をあてがったのも彼女で、娘全部の相手方を探しちまった。ええ、私も彼女に拾われた口で、トーラーに照らし合わせて私を調べあげたらしい。そんなわけで、私はラデミシリという町からズヴォヒルに連れてこられたんです。私はラデミシリの出なんですよ。ご存知でしょう、私が生まれた町のことは。あんた、知ってるはずですよ、近頃、新聞に出たんだから。

そんなわけで、ズヴォヒルに義理のお袋と暮らしてました。ランバム *3の著書『途方にくれた者への道しるべ』*4と格闘しながら一歩も町から出たことはありません。そうそう、おっしゃるとおり、軍役に応召しなきゃならない時期が来るまででしたがね。そのときは、いよいよ私も気合を入れて、定められたとおりに、ラデミシリの町に帰って書類を整え、どんな兵役免除規定があるかも調べ、管区外に応召させられる場合に備えてパスポートも用意する予定だったんです。そう、あなたがおっしゃるとおり、広い世間に出かけるわけで、それが私の初冒険となるわけだったんですよ。何でも自分でしなければならない。証拠に、実際私は、市場に出かけて橇(そり)を一台雇えるような社会的に信頼される男になっていたのです。神様は、お得な条件でその橇を送ってくださった。私は、ちょうどラデミシリの町に戻る百姓を見つけました。彼は、ペンキが新しく、横に鷲(ワシ)のように翼が飛び出た、背もたれのゆったりした橇を持っていた。しかし、そのとき馬が白いことには気づかなかった。義母の言うことには、白い馬は不吉なそうだ。彼女は「私の言うことが嘘だと思いたいくらいだよ。だけど、この旅路は運勢がよくないね」と言った。義父は義母に、「お前は舌でも噛みやがれ」と思わず口ばしってしまったが、不幸にも、たちどころに彼女にとっちめられてしまった。そして、私の側に来て小さく「女のたわごとさ」とつぶやいてくれたが、私はさっさと旅支度を始めるしかなかった。タリス*5やトゥフィリン*6、焼きたてのパン少し、路銀のためにわずかなルーブル*7、更に枕を三つ詰め込んだ。三つの枕は、尻の下に一つ、背中に一つ、そして寒さしのぎに膝の上に一つだ。かくして、旅支度はみな整った。

皆にいとまごいをして、ラデミシリへの旅路についた。冬の終わり頃で、いったん融(と)けてから固まった雪道は橇にもっけの幸いだった。馬は例の白いやつではあったが、心地よい風のように滑らかに歩んだ。ところが、御者の百姓は、何にでも「ああ、はあ」としか言わん無口な野郎であることがわかった。「はい、そうです」でも「ああ、はあ」、「いや、違います」でも「ああ、はあ」なのだ。実にまったく、それだけ。あいつからは、あなただって、それ以外の言葉を引き出すことなどできませんよ。

(続く)

*1:ユダヤ教の教会会堂

*2:律法の書、モーセ五書旧約聖書初めの五巻のこと

*3:マイモニデスの別名

*4:一種の神義論ならびに「永遠」概念を含む世界観に関する本で難解

*5:祈祷用の縞模様のショール

*6:頭と腕に付ける小さな経箱で日本の山伏の物に似ている

*7:ロシアの貨幣