Comments by Dr Marks

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ショローム・アレイヘムの小説『永遠の命』(第三回)

小説の本文無断転載禁止。脚注のみは訳者(私)の専有著作権のため転載自由。脚注は専門の立場からウンチク傾けとります。いよいよ面白くなりまっせ。サスペンスものでんな。舞台は帝政ロシア時代末期のウクライナですが、ポグロム(ロシアのユダヤ人虐殺)が始まる前で比較的平和な時代です。

こんな知らせが子供たちを本当に喜ばせるはずがない。彼らは父親が母親をどこかに葬ると聞くやいなや、また母親の死骸の周りに集まって、以前にもまして大声で泣いた。しかし、いずれにしろ、彼らのために親切心を持った男が現れたことは願ってもない幸運。神ご自身がこの私を送ってくださったというわけだ。彼らは私を贖い主*1かのように見つめだした。エリア様*2かなんかのように。すると、不思議なもので・・・告白しておかなければなるまい。私自身が、何かこうとてつもなく大きな存在に思えて来たのだ。たちまち私自身の目には、私が資質の面でも成長し、世間がいうところの偉人になったようだ。いつでも山を持ち上げて、世界を逆さまにだってできる。自分にとって難しすぎるなどというものは何もないと思えたから、こんな言葉まで勝手に唇から飛び出してしまった。
「いいことを思いついた。彼女の遺骸は私自身がそこに運ぼう。つまり、私と私の御者でだ。そうすれば、行ったり来たりしている間に子供たちを置いていく心配もなかろう。」

私がこんなふうに話していると、子供たちはますます声高に泣いた。泣きながら、私を天国からの天使のように見上げるものだから、私自身の目には、自分がほとんど天にまで届くかと思えるほどますます大きな男に見えた。その瞬間は、いつも恐れていた死体に触れることなど忘れ、私自身の手でその女を運び出し橇に乗せる手伝いをしていた。お陰で、ウィスキーを一杯飲ませながら、御者にもう半ルーブル払う約束をしなければならなかった。それでも初めは首の後ろを掻きながら、彼は鼻声で何かつぶやくだけだった。しかし、三杯目を飲む頃には態度も軟化してその町への道に乗り出すことができた。私ら三人、つまり御者と私と廃屋のような宿屋の死んだ女将(おかみ)さんだ。名はハヴァ・ネハマ。彼女の名は、ラファエル・ミケルの娘、ハヴァ・ネハマといった。この名前は、今朝の出来事のように忘れはしない。彼女の夫が数回だけ繰り返してくれた名前を、道中ずっと心の中で、私は繰り返しっぱなしだったのだから。というのは、適当な墓があって埋葬の時が来たら、彼女のフルネームが必要だからだ。そこで、行き着くまで頭の中でつぶやいたさ。
「ラファエル・ミケルの娘、ハヴァ・ネハマ。ラファエル・ミケルの娘、ハヴァ・ネハマ。ラファエル・ミケルの娘、ハヴァ・ネハマ。」
しかし、女の名前を繰り返している間に、夫の名前をまったく思い出せなくなった。夫は自分の名前も言ったし、町に行って彼の名前を出しさえすれば遺骸はすぐに引き取ってもらえて、私は旅を続けることができると保証したのだ。その町ではよく知られた男だからと言っていた。ユダヤの祭のときには毎年その町のシナゴーグでなにがしかの献金をし、銭湯*3などへの支払いもきちんと済ましていると言っていた。彼は私の頭の中をそれ以上の指示でも一杯にした。町の行く先々で、それぞれにふさわしい挨拶とするべきことだったが、なんと、頭の中から一切合切(いっさいがっさい)吹き飛んでしまっていた。いや、一言くらいは覚えているだろう、とおっしゃるかもしれませんね。いいえ、一言も残っちゃいません。

私の頭の中でぐるぐる回りをしていたのは、たった一つ。私は今死んだ女を運んでいるということだけだった。たったそのことだけで、何もかも忘れるには十分だった。自分の名前さえ忘れていた。なぜなら、ごく小さな子供のときから、死体ほど「死ぬほど怖い」ものはなかったのだから。もしもあなたが私一人で死体と一緒にいてくれと頼むなら、一財産いただかなければ無理だ。今や、虚(うつ)ろに半分目を開いたその死体が私を見つめている。固く閉じられた唇だって、今にも開きそうだし、開いたら墓場から聞こえるような声が出てきそうだし、その声の恐ろしさを想像するだけで、ほとんど失神しそうになっていた。死人の話や、怖さゆえに失神して、正気や言葉の力*4を失った人々の話を、あなた、ゆめゆめ空言と思ってはいけないよ。

そうやって橇は走り続けた、私ら三人を乗せて。私の足の右に橇に交差する形で乗せたから、死んだ女に三つの枕のうちの一つを取られていた。滅入った思いに落ち込まないように、死体から目をそらし、空を見上げて心の内で繰り返す。
「ラファエル・ミケルの娘、ハヴァ・ネハマ。ラファエル・ミケルの娘、ハヴァ・ネハマ。ラファエル・ミケルの娘、ハヴァ・ネハマ。」
そのうち言ってる名前が頭の中でごちゃごちゃと混じりあい、とうとう
「ハヴァ・ネハマの娘、ラファエル・ミケル。ハヴァ・ネハマの娘、ラファエル・ミケル。ハヴァ・ネハマの娘、ラファエル・ミケル。」
と言ってる自分に気づく始末だった。

そんな具合だから、だんだん日暮れになって、ますます暗くなりだしたことに気づかなかった。風はいっそう強く吹きつけ、雪は道路を見つけるのが困難なくらい深くなるまで降り続けた。橇が見当を失ってあちらこちらに往き来するから、御者は唸りだした。初めは小さな声だったが次第に語気を強め、ますます大きな声で激しく怒鳴りだしたから、いっそ彼が私のために三重の祝福*5で大声で祝ってくれていると思い込むことにした。そう心を落ち着けてから、
「おい、お前さん、いったいどうしたんだ」と御者に声をかけた。
彼は雪の中に唾を吐いてから、思わず怯(ひる)んだほどの、私を殺さんばかりの怒りの形相(ぎょうそう)で叫んだ。
「自分がしでかしたことを見てみやがれ! おめえは俺と俺の馬の破滅の種じゃねーか。」
ああ、そうだ、それが原因だ。橇で死んだ女を運び出したから、馬が道を踏み外して迷いだしたんだ。今私たちはさ迷っている。神様だけがいつまでさ迷うのかご存知だ。夜の帳(とばり)はすぐそこだから、実際、私らは迷子になってしまった。

(続く)

*1:あがないぬし。キリスト教ではキリスト自身を指すが、旧約聖書ヘブル語のゴエルは、本来、近親者としての義務を遂行する者。例えば、借財等を「あがなう」、つまり金品を出すなどして償(つぐな)って、肩代わりする者のこと。

*2:旧約聖書最大の預言者の一人。救世主とともに地上に再来すると信じられている。列王記上17章から列王記下2章までのエリアの物語はすぐれた文学でもある。

*3:湯浴みや水浴場であるが、ユダヤ人の目的は宗教上の浄めにある。

*4:Power of Speech はユダヤ教において重視される概念。創世記において全世界が神の言葉によって創られたように言の葉には力がある。ラビは言葉を矢に譬える。いったん発射されたら戻らない。力もあるが害にもなる。この思想はキリスト教にも受け継がれているが、諸民族の間にも広く共通する考えでもある。

*5:Birkat Kohanim。祭司の祝福のこと。三重の祝福は民数記6章 24・25・26各節の祝福。神の別名エル・シャダイ、すなわち全能の神の全能シャダイの頭文字シンשが三つ又なので、指でこの形を作って祝福する。なお、プロテスタントの一部で三重の祝福をヨハネ第三の手紙1章2節とするのは、聖書学の無知による。