Comments by Dr Marks

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「もう一つの話」シリーズについて

ショーレム・アレイヘム原作による孤児モットゥエルの話に続き、アイザック・シンガー原作によるギンペルの「もう一つの話」を連載する予定だ。ただし、ギンペルは、あの『阿呆のギンペル』自身ではなく、別人である。

「もう一つの話」というのは余の勝手な企画ではあるが、話そのものは上記のイーディッシュ文学の大家の作品そのものである。ただ、原作としたのは、純粋な翻訳ではなく、時には「意訳」以上の改竄があるからだ。今度のギンペルにしても、余はイーディッシュ原本、英訳、独訳を参考にしているが、いずれも日本語にはそのままでは馴染まないので、「原作」とした。

もう一つの話の、もう一人のギンペルは、アイザック・シンガーが想像上の町としたフランポールの名家の末裔だ。名家といってもユダヤ人のことであるから、単なる靴職人の家柄であって、金持ちで隣人愛に富み人に尊敬され何代も続いているという、唯それだけのことである。このギンペルの家系を辿るというところから物語は始まる。

舞台はフランポールの町の十九世紀後半であろう。このフランポールの町というのは、ポーランドということだが、当時の大ポーランドであるから、実際は現在のウクライナに近い場所である。靴職人のこの町の名家の当主はアッバという親父だが、彼に七人の息子があり、既に一人前の靴職人に成長した長男の名前がギンペルである。ギンペルは両親の反対にもかかわらず、アメリカに渡り、ニューヨークで結婚する。しかし、これ以上のネタバレは、とりあえず止めておこう。

ニューヨークの証券取引所の扱い高がロンドンを越したのは、ちょうど十九世紀の最後の年一九〇〇年のことであるが、東ヨーロッパのユダヤ人たちは、その前から続々とアメリカに渡っている。実際、余の周囲のユダヤ人の先祖は、ホロコーストの後、生き残って渡米した者よりも、十九世紀末に渡米した者のほうが多い。アメリカの自由と豊かさに集まったとも言えるが、ナチスによるホロコースト以前のポグロムというユダヤ人迫害も一因であったろう。

話は飛んでしまったが、日本でポグロムの研究者というと、黒川知文先生がいる。彼は現在愛知県の大学の教授をしながら、神学校は出ていないからだろうか、独立の(私的な)教会の牧師もしている。余は、彼が博士論文を書いている頃に本郷の東大構内で何度か会話をしたが、優しい人柄の歴史学者だ。