Comments by Dr Marks

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速報:猫猫本ゲット―とりあえず『中庸、ときどきラディカル』&『聖母のいない国』

何しろ専門書と専門の論文以外を読むのは、近頃頓に残された人生の無駄と思い始めたので、なるべく読まないようにしている。ましてや、日本の低脳本(←ママ)は見るだけで大事な目が穢れる気がするので(私は生来実質片目、残りの目も強度の近視から網膜剥離の既往症あり)、ほとんど読まない。今回、その方針に反して、猫猫本を2冊も買ってしまった。愛読者になるかどうかはわからない。

今晩、その2冊を食後1時間ほど読んでみて、暇つぶしには合格だと思った。漱石研究の一環である『江戸から』については、素人が書評などするべきではないということと、立派な本であることは間違いないと、以前述べた。今回、入手した2冊は、『聖母』が猫猫先生の専門に近いとはいっても、私もその程度なら口出しできる範囲であるし、また『中庸』はいわゆる身辺雑記のようなものでブログのレベルだから、ここでもの申してもかまわないだろうと思った。いずれ気が向けばする。(何か言いすぎたら噛み付かれるかもしれないが。)

ともかく、今度の猫は図書館からの借り物ではなく、買って来たものだからもう名前を書いてしまった。普通は、タイトルページに Mark Waterman と署名するのだが、著者に署名してもらいたいものはタイトルページを著者署名用に残し、遊び紙か見返しに所有者である私の名前を書くことにしている。結構ミーハーで、ドイツやイギリスの神学者が来ると著書にサインしてもらっている。しかし、生来の内気が祟り(←ホントか?本当だ、心理学の先生が内向型のサンプルに私を選んだほどだ)初対面の先生の前で躊躇していると、細君が勝手に私の手を引いて連れて行って紹介してしまう。そうは言っても、猫猫先生、サインしてくださるかな。

ともかく、今は我が家の大きなぬいぐるみに抱かれて、右上の写真のように眠っているが、寝る前とか、食後の楽しみにしておく。ただ、かなりの部分は、予想したとおり、私と「猫」が合う物の見方をしていることはわかった。『中庸』では語学教師をしながら苦労しているのが、同業の者として理解できるし、人は努力できる部分とできない部分を見抜いていることなどは同感であった。そういえば、かつては日本と韓国からの留学生が、アメリカの古典語の先生方での評判は最高だった。なぜなら、彼らは平均的なアメリカ人学生より英語の文法と文法用語がわかるから、古典文法の説明が楽なのである。確かに、昔の日比谷高校などで使っていた文法書には、日本語の文法用語に添えて英語の文法用語があったため、自然と英語の文法用語を覚えたらしいが、今の教科書はどうなのであろう。

そういえば、小谷野先生は私に「正仮名遣い」という言葉を教えておきながら、『中庸』では「旧仮名遣い」と書いているではないか。これは「歴史的仮名遣い」よりも好かんわい。あっ、それと『聖母』のサリンジャーですな。よくぞ言った。多分、猫猫先生の洞察のとおりじゃ。残りは、いつか。