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コメントできないブログへのコメント『rento の日記』「ボケキャラ」

DrMarks2007-10-01


前々回に書いた大橋洋一教授のブログの記事の下に「ボケキャラ」と題する記事があることを見逃していた。まさにボケであるが、あのカタカナの羅列に酔ったのかもしれない。この頃、自分で運転しないで細君に運転してもらうと車酔いしやすくなりボケーとなるので、目が疲れているのが原因かあるいは senile moment がいよいよか、と呟いたら細君にたしなめられた。そんな年配者に offensive な言葉を使ってはならないそうだ。細君は年配者と付き合うことが多いが、老いを怖れている人は senile moment (or senior moment) と聞いただけで顔を曇らすそうだ。だいたい年を取れば皆がボケるわけではない。あなたのように若くても(←ここ強調します)ボケはボケよ! だと。

さて、この記事で、東大文学部の英文学史の授業の一端を垣間見ることができる。対象は学部の3−4年生であろう、多分。まず、大橋教授は、試験が嫌いだがした、とお書きになった。米国でいう Final Exam であろう。普通、米国でも「〜史」の授業は、中間試験と期末試験、それに幾つかのエッセイで学生を評価する。試験が評価方法としてふさわしくない場合は、少し長めの期末論文を書かせてすます場合もあるが、「〜史」の基本は正確なデータの記憶量(理解度を含む)が試験の要なので、期末試験のない英文学史の授業などありえるのだろうか。大橋教授はこの基本を納得されているのかどうかわからないが、

私は試験はあまり好まないのだが、文学史のだけは試験をすることになっているので、ない知恵をしぼって問題を出した。私の試験問題の特徴は、文学者の肖像なり写真を出してこれは誰かと答えさせるものである。

とおっしゃる。どうやら学校の決まりだからというのが、試験をする動機らしい。また、こんなことも書いている。

使っている教科書(私が選んだのではない)は、かなり高度な教科書で、図版は、ほとんどない。地図もない。肖像の類はまったくない。そこで補助教材として肖像のわかるものをプリントして配っている。

ここでも、教科書は押し付けだというわけか

誰かの代講でもなく、大橋洋一先生は正教授ではないか。たとえ、猫猫先生のように非常勤でも、講義の材料や内容は講義者の自由であることが大学ではなかったのか(←これについては小谷野先生に聞きたいくらいだ、先生が東大で教える場合の教科書は文部科学省とか誰かが選んでくれるのって)。ひょっとしたら、そうなのかもしれない。しかし、そうなら驚きだ。大学だよ。しかも、正確な知識を問う試験で「持ち込み可の試験」て何さ。皆がチョンボしながら答案書くの? 東大じゃ! Cheating、退学処分!!にはならないわけだ。 

もっとも、ノートなど見たって歯が立たないほどの設問なら、それでもいいかもしれない。しかし、肖像当てクイズですよ。あっ、この俳優知ってる、とまさに同じレベルだ。

ちょっと脱線するが、神学者の肖像をめぐって、演習室が大笑いになったことがある。当該の神学者の著作をそれぞれ持ち込みながら議論するうち、ある出版社の本だけおかしいことに気づいた学生がいる。髪の分け目がそれだけ逆なのだ。左右が逆なだけで同じ写真の別の本もあるので、そのときだけ分け目を別にしたのではない。編集者でもある私はすぐわかった。いわゆる裏焼きだ。編集者の最終確認のミス。

そんなわけで、作家や文学者の写真など撮りようによって変わるし、まるで感じが違う場合がある。多分、大写しのものを除けば、本家に恥ずかしくもなく載せている私の顔写真は4−5種類あるが、一瞬の表情が変わるとなかなか同一人と思えないこともある。シェークスピア肖像画も幾つかあり、若いときのものと熟年のときのものなど、似ているといえば似ているが、印象が異なるものがある。

もっとも、大橋教授がご自分の資料集として提示した中から選ぶのであるから、そういった複数の肖像からの混乱はないのであろう。問題があるとすると、これこそ正真正銘のシェークスピアの肖像だという固定観念を植え付けてしまうことである。(もちろん東大の学生すべてがそんなレベルとは思わないが、危険性はあるわな。)また、顔当てクイズが英文学史の大学レベルの試験かと、私レベルの凡才は勘違いしてしまうことである。

標題になったボケキャラだが、自分の若い頃に重ねて、ボケキャラの学生に優しい眼差しを注ぐことはいい。人は死ぬまでそんなもんだ。自分を重ね他人を見る。今私が書いていることだって、我が身に重ねながらのコメントなのだが、東大の授業や試験が本当にそんなものかと素朴な疑問を投げかけているだけだ。なにしろ、コメントを受け付けないから、こんなに長く自分のところで書くしかない。

それに、ここだけの話ですが大橋先生、

実は、私自身、そうしたボケ学生だったので、その時、教師がどう思っていたのかと思うと、ちょっとぞっとする。ほんとうに寒気がする。

などと言っていると、学生に馬鹿にされます。寒気なんてする必要がないのです。胸を張って堂々と、いやー僕も君くらいのときは、まだOEDとODEの区別がわからなくってねー、と言えばいいのです。尊敬されますよ。