Comments by Dr Marks

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書き切れなくなったコメントの続き(もちろん猫猫ブログ)

猫猫先生のプログにコメントが100字では書き切れなくなったのでこちらに続ける。本当は、あれはコメント欄ではなくてブックマークだと言われた。それもそうだが、自分としてはショートコメント欄として使わせてもらっている。

その前にお知らせ一つ。久しぶりに猫猫先生からコメントをいただきました。これも正確に言うと、コメントでなくお叱りかもしれませんが、私からの長い釈明(決して反論・反駁などという身の程知らずの行為ではなく、釈明させていただいただけ)もあるのですが、ここに再録することはしませんので、コメントとしてお読みください。この事の発端も、猫猫先生へのショートコメントにありました。しかも、今回は忙しさの混乱の中にあり、丸一日の間、小谷野先生からのコメント(お叱り)を見過ごしてしまいました。

「帰国チャイルド」と題する記事へのコメントを続けます。

1)この言葉は極めて日本的な言葉であり、日本人が考えそうな概念だ。英語では何と言っていいのか思いつかない。WP(近頃私はウィキペディアをこのように表記することにした)を見たら、何とドイツ語版があるではないか。しかし、がっかり。"Kikokushijo" という見出しで、ドイツ語による説明があるだけだ。どうして日本的かというのにはいろいろな理由がある(だろう)。多分、この言葉は、帰国してからの日本での学校教育に強い関連があったのであろう。簡単に言えば、帰国してからの高校入試、大学入試はどうするのかだ。この言葉の使われだした当時は、現在のような帰国子女枠のさまざまな選択肢がなく(あるいは極めて少なく)、父母にとっても愁眉を開くことのできない困難事であったはず。いつの間にか、さまざまな、否むしろ一般入試者よりも有利な手立てがなされた。しかし、それにもかかわらず、何ゆえ今でもこの言葉が日本では生き続けることができるのか。日本人の「日の本意識」である。本人の意思に拘わらず海外に連れ出された子供だから、最後は日本に戻したい。いや、子供たちだけではない。20年、30年と海外で暮らしても決してその地に根を下ろそうとしないのが日本人だ。

2)私も言い換えの大方は嫌いだ。「帰国チルドレン」という言い換えがあるというのは知らなかった。看護「士」が「さむらい」だから看護「師」へ。うーん、そうね。命を救うのは戦士でないほうがいいわけか。しかし、決してナースを見下すわけではないが、どうして「師=先生」としなければならないのか。看護婦、看護夫ではだめなのか。医師だって医者とも言うのだから看護人ではだめなのか。
 しかし、こんな言い換えは米国から始まったのよね。Chairman では駄目で chairperson にしろとか。先だって経験したが、今日日のホテルじゃベルマンはいない。全員ベルキャップテンだぜ。Captain!!!

3)>日本政府の米国追随は許せんが、反米的な米国の大学教授の言うことは大好きなバカ左翼どもよ。←猫猫先生の言葉
なるほど、私は日本のバカ左翼に聞いてもらえることはないわな。米国の人間だが、愛国的(親米的)だし、大学教授にはなれない(←ならないんだよ!)貧乏学者だから。