Comments by Dr Marks

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万朶(ばんだ)の桜か襟(えり)の色 花はバルボアに嵐吹く♪〜

Cherry and Dr. Marks

(親切リンクを末尾に追加)+ 更に「解説」追加

公園の直ぐ傍に住むガートルード婆さんに声を掛けて連れて行くつもりだったが、げほげほと咳をして風邪だと言う。仕方なく、「じゃ、今年は無理だな、来年まで生きていろよ!」と温かい励ましの憎まれ口を残して、私は公園に立ち寄った。

というような文章と一緒に桜の写真を本家に載せた。本家は写真が拡大するのでそちらに載せたにすぎない。本家の写真をクリックして拡大すればきれいな花(と鼻)が見える。万朶の桜は「やまとをのこ」だが、「青青(せいせい)たる子(し)が襟(きん)」は中国の若い(親が生きている)男子のこと、桜の木にすがる、よれよれ襟の小父さんはいったい何なんだ。

東北大と京大で学び、ドイツでも講義した哲学者、竹田寿恵雄先生の小説『背神』がようやく届き、一気に読んだ。本家に載せる予定の彼の専門書2冊の書評は書きかけだが、この小説についてはこの分家で日本語で紹介する。真面目に紹介するため、文章なども推敲する(また、人にも読んでもらう)ので少し後になるが、また一つ約束してしまったな。しかし、間もなくイースター休み=春休みなので何とかなるだろう。

日本行き(ビジネス)は5月だが、忙しいので東京に2−3日いて用事を2−3こなすだけ。あたふたと準備して、その週の内にとんぼ返りだから、知人に会う暇もない。飛行機代がもったいないくらい。(希望として、銀座の寿司屋でなくても神田の回転寿司屋にくらいは行ってみたい。ドル安だが、1万円札がちょびっと残っていてよかった。回転寿司くらい食えるよな?招待されたら=他人のお金なら、何処にでも行くけど…。)

Dr. Marks の親切リンク:(1)「万朶の桜」の歌は『歩兵の本領』といい士官学校生徒などが歌った。(2)「子衿(襟)」の歌は、本来『詩経』にある詩だが、後代の詩人もしばしば引用した。原詩は<青青子衿,悠悠我心,縱我不往,子寧不嗣音。青青子佩,悠悠我思,縱我不往,子寧不來。挑兮達兮,在城闕兮,一日不見,如三月兮。> ここで「挑兮達兮」という愛することの切なさと期待を端的に示した句が Dr. Marks のお気に入り。意味は自分で調べてね。何でも教えてもらうと自分の中に残らないから。俺ってやっぱり生まれつきの先生ね。何しろ自分以外には厳しいもん。(リンク先は上の説明のアンダラインをクリックしてください。)

解説:勝手に調べろと言ったが、調べろと言われても図書館には行かない人が多いのに加え(要するにネットで済まそうという悪い風潮だ)、私が念のためネットを検索したら、中国語や英語のサイトはまともなのに、日本語サイトでは間違いだらけなのに気がついた。近頃の日本人は漢文の素養も何もないらしい。だから、念のために書いておく。(欧米の伝統的な日本語講座の上級では漢文を中国語ではなく「漢文」として教えているから、欧米人のほうがました。)


「挑兮達兮」は現代仮名遣いで示すと正しくは「とうたり、たつたり」と読み下すこと。「挑」とは「爪先立ったり、飛び上がること」、「達」とは「進み歩むこと」。「兮」という字は「ケイ」と発音し、中国語としては十分役割があるのだが、漢文としては昔から「置き字」あるいは「捨て字」とか「虚字」と言われるもので、読み下しに際して無視する字である。だから、「とうたり、たつたり」と読む際に「兮」という字が「たり」と読むのではないから誤解しないように。ここでは、挑&達&、すなわち今か今かと爪先立ってみ「たり」、うろうろと前のほうに歩いてみ「たり」するから、日本語としては「たり」と読ませたのであって、コンテクストで読み方は変わるし、全く読まなくても不都合はないのだ。なるべくわかりやすく解説したつもりだがわかっただろうか。(詩は哲学のように大切だし、哲学のように難しいから我慢してくれ。)なお、原詩は何度も言うように『詩経』にあるのであり、後漢曹操の作ではないから間違わないように。


この詩「子衿」の要領のよい英訳が見つかったので紹介する。わかりやすい英語だから漢文より易しいだろう。


子衿 ZI JIN


青青子衿、悠悠我心。
縱我不往、子寧不嗣音。


青青子佩、悠悠我思。
縱我不往、子寧不來。


挑兮達兮、在城闕兮。
一日不見、如三月兮。


Blue, blue is your collar;
Sad, sad is my heart.
Though I have not gone to you,
Why do you send no news?


Blue, blue is your girdle-gem;
Sad, sad is my mind.
Though I have not gone to you,
Why do you not come?


Leisurely and pleasure seeking,←彼が来るのを期待しつつも、為す術なく飛び上がって遠くを見たり落ち着きなくうろうろしたりする娘の様子
On the watch tower by the city wall -
A day without see you,
is as long as three months.


Tr. by Bernhard Karlgren