Comments by Dr Marks

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編集者の役割についてのコメント

天漢日乗さんのブログで編集者がお叱りを受けていた。私もしょっちゅう編集者を叱咤激励(罵倒?)しているが、同じようなことを言う方がいるものだと思ってしまった。

自分がフルタイムの編集者であったし、今もパートタイムの編集者であるからか、自分で編集者を悪く言うのは何でもないのに、他の人が編集者を悪く言っていると多少庇いたくなる。しかし、今回の天漢日乗さんの件に関しては、筑摩書房の編集者を庇いたくはなるが、結局は私も編集者の怠慢という結論だ。

編集者と一口に言ってもさまざまだ。書籍か雑誌かなどのメディアの違いにもよるが、多くの一般の人がイメージしている編集者とは、われわれ欧米の編集者が理解している acquisition editor のことである。長い間、日米で国際出版に携わりながら、いまだにこの適訳がわからない。しかし、この職種の編集者が、日本のドラマなどにも登場する編集者であろう。作家とやたらに会社持ちで飲んでいたり、持込原稿をゴミ箱に傲慢に捨てたりする行儀の悪い編集者だったりする職種であるが、新しい作家や有望な学者を発掘し育てる役割もある尊い(?)職種である。

これとは別で、出来上がった原稿のスタイルの整理や校正を担当するのが職務の地味な職種がある。これを、われわれは copy editor と呼んでいる。よく、どちらが偉いかと聞かれるが、適性の問題である。給与的にも acquisition editor より高給の copy editor はいるし、有名大卒や高学歴者がこの仕事をしていることが多い。

以上は職種による違いであるが、もちろんのこと、どちらもこなせる編集者も多いし、どちらもこなせるのが理想である。ただ、大きな出版社ほど、編集部には acquisition editor がいて、copy editor は制作部にいるというふうに、分業化が極端に進んでいる。

職階による違いについても少し説明しておこう。よく編集長という肩書きを聞くだろうが、編集長は職階ないし社内のランクはそれほど高くはない。せいぜい課長レベルと思っていい。日本で部長級のランクなら編集部長(←部に注意)ないし取締役の肩書きが添えられていることが多い。編集長(chief editor, managing editor)という肩書きも確かにそれなりのランクではあるが、欧米ならば publisher というのが取締役クラスの編集者の肩書きと思っていい。

以上は、フルタイム編集者すなわち社内編集者であるが、学術出版などの高度な知識を必要とするものには、外部編集者が存在する。この編集者は、外部下請けの校正者などではなく、大学などに所属する学者が委嘱されて編集に携わっている。なお、この人たちが編集長ないし編集委員長の肩書きを持つ場合は、chief editor ではなく、エレガントに editor-in-chief と称する場合のほうが多いようだ。

近頃は、博士の学位を持つ acquisition editor が社内にいるようになったが、単なる社会の高学歴化が出版社にも及んだのであって、博士がいるから専門家がいると思ってはならない。彼らは、technical editor あるいは academic editor として、自分の専攻分野の編集をしているというラッキーな場合もあるが、普通は高度の専門知識もある教養人として、従来の acquisition editor の役割を踏襲しているにすぎない。つまり、多くは専門外の出版に従事している。(私の学位論文が出版されて1年近く経ってから、ある国際学術出版社の Ph.D. の学位を有する編集者が連絡をとってきたことがある。Dissertation Abstracts ででも興味を持って連絡してきたのであろうが、既に出版されていることや書評まで出ていることを知らないのだから、私の専攻分野の博士号所有者でなかったことは確かだ。)

さて、以上の実情をみれば、普通は天漢日乗さんの求めるような資質は編集者にはないことが明らかであろう。つまり、編集者は、その道の専門家ではないのだ。しかし、願わくは、良質の編集者は、たとえその道の学者でなくても、当該分野の浩瀚な書物の常識と勘のよい判断力があってほしい。無論、acquisition editor たるもの、ゲラ読みを制作部の copy editor にばかり任せていてはいけないし、逆に、copy editor も手間隙惜しまずに、おかしいと思ったら acquisition editor に必ず忠告しなければならない。そして、何にもまして、学術モノは同一分野の複数の学者(peer reviewer)に相談することを怠ってはならない。

しかし、このことは、あくまでも天漢日乗さんの言うことが正しいという仮定のうえでのコメントであり、槙佐知子氏やその他の同学者が何と言うかはわからない。やはり、小谷野先生ではないが、あそこまで言うなら私も天漢日乗さんは本名を名乗ったほうがいいように思う