Comments by Dr Marks

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聖書学とか歴史学とか(数日間の雑感)猫猫ブログも少し

ブログに書こうとして頓挫したものが二つ。(うち一つは実際に書いたのだが、ワードで書かなかったので飛んでしまった。)いずれも時事問題だ。確かに時事問題を取り上げるといきなり訪問者が増すようではあるが、時事問題というのは本来つまらない。今日は、雑感。雑感だからもっとつまらない、と思った人はこの先読まなくてもいい。

この数日は副業の一つ(てか本業なしやん)出版関係の調べ物で過ごすことが多かった。出版や編集をした後で聖書学の世界に入って得をしたのは、さまざまな聖書学の方法論などについて、頭で学ぶのではなく体で知っていたことだ。

私はミーハーものの軽い読み物や通俗本の編集・出版は一切したことがない。分野はさまざまだが、著者も読者も学者であるようなものばかりだった。高い本で、世界の主要な図書館が総部数500も買ってくれれば、私の高額な給料も出るというやつだ。大衆を相手にしない出版。

このような著作の編集となると、途中から著者との共同著作の様相を帯びる。もちろんこちらはその分野の素人だから、一切は著者の責任ではあるが、長時間図書館に籠ったり、一緒に手書きの原資料の解読をすることもある。ルーペで筆順をなどったりしたこともあった。

だから、古文書や手書き資料は大好きだ。そして、聖書学は結局古文書学でもある。もちろん、写本など直接扱わず、写本から他人が読み取ったものを印刷した資料だけを扱ったとしても、聖書学者は聖書学者だ。それでも、少なくとも、聖書学者なら写本の一般的な特徴は習う。

その中に、写本の年代測定がある。な〜んだ、そんなのは科学の発達した今日簡単じゃないの。写本のパピルスとか羊皮紙とか木片とかを放射性炭素14などで測定すればいいじゃん、というあなたは脳味噌乾きすぎ。素材の古さと記述した年代は同じではないのよ。

じゃあ、どうするの、となるだろう。実は、書き癖なのだ。年代によって人は書き癖が違う。えっ、同じ年に生まれた同じ年代の学校のクラスの中でもいろんな筆跡があるじゃん、というあなたはスマートアス。←これ英語で書くと禁句だが、カタカナならそれほどでもないから不思議。

個人差を超えて時代差というものがある。オーケー、それはわかった。しかし、「差」のある写本があったとして、どちらが古い新しいの物差しは何、というあなたは確かに結構いいレベルの頭脳の持ち主。悪くない質問だ。ちゃんとあるのよ。日付の入った証文とかのサンプルがどさっと。

それと、その写本がどういう状態でどこでいつ発見されたかなども傍証として検討して判断する。その誤差は、C14での誤差とほぼ同じと言われる。この辺りになると、私自身ができるわけではないので「へー」と感嘆驚嘆するしかない。しかし、編集を仕事とした経験から、すとんと納得できる。この分野の学問を paleography といい、その専門家を paleographist という。

さて、私は今回、1950年代のアメリカの文献が主だったが、調べていて時代をうかがわせるものを二つ発見した。余韻を持たせるつもりなのか、やたらに(編集者の手を経ているのに)「・・・」で文章と文章の間を繋ぐのだ。見苦しくて、最初はろくな編集者が手を入れていないな、と思ったのだが、ほかの出版社の本でもそうだった。ははー、この時代の流行。(日本語でもあるよ。昔のものは「コンピューター」と書いていたが、今のは「コンピュータ」だろう。)

もう一つ面白かったのは、gay という単語が多用されていた。意味は、現在一般的な同性愛者ということではない。ほとんどすべてが、「明るい、快活な、陽気な、鮮やかな」等々の意味だ。それから、ほとんどこの頃から見なくなった「今日」という意味の to-day も散見した。Today を to-day と綴るのは第二次世界大戦前にほとんど消えているはずではあるが。

そうそう、最後に、猫猫ブログね。小谷野敦先生が、トンでもない「伝記」を読んだことを書いていた(http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20100423)。私も同じ頃、とんでもない伝記を読まされてうんざりしていた。ある人の死後すぐに書かれた伝記なので期待して読み始めたのだが、なんと私の知りたいその人物の生涯の「事実」よりは、やたらに思い入ればかり吐露していて役に立たないのだ。

むしろ、未完成で終わってはいるのだが、本人が書いた自伝(autobiography=自伝とはしていないのだが自伝らしきもの)のほうが内容が濃く、もちろん助かった。いや、自分で自分を書いたものは、歴史資料としては、掛け値なしで受け取ってはいけないのだが、思い入れたっぷりで事実に関する情報が薄い他人の書いた「伝記」よりは、はるかに役に立つ。