Comments by Dr Marks

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母語か母語でないかは本質的な問題ではないことについて−日曜日(日本時間)は「連載」小休止させてね


この絵は、4人の福音書著者を、それぞれのマスコットで描いたコプト語エチオピア語)の説明付きの作品。左上から時計の逆回りで、マタイ(人間)、マルコ(ライオン)、ルカ(ウシ)、ヨハネ(ワシ)となる。真ん中? もちろんイエス・キリストだけど、何となくエチオピア人のようで色黒。それほど古いものではなく、17世紀のものだそうだ。大英博物館所蔵。


今頃気づいたが、日本からのアクセスは土日に落ちる。どのブログでもそうらしい。だとすると週末は連載をやめてもいいのだが、終わるまで毎日書こうとした。一人でも待っている人がいたらすまない。落語家もそうらしいが、教会の説教者というのもそうなんだ。一人も千人も同じなんだよ。しかし、今日は連載を書こうとしたら新しい話題が長くなりそうなので、

コメントにならないコメント−35 (ヴァメーシュの『イエスの復活』「イエス自身の復活に関する福音書の説明」続編)

は明日に延ばす。

新しい話題というのは、母国語すなわち native language あるいは mother tongue または first languageの話題だ。「母国語」となると人々の言語はかならずしも帰属する国とは関係がないので不適切かもしれない。生まれ育った環境によるとすれば native languageであり、環境の第一のものは母親の言語なので mother tongue となろう。後者を利用して日本語にすると「母語」だ。だから、母国語よりは母語がいいかもしれない。更に、母語は first language なので「第一言語」と言っていいのかもしれない。

以上は、一般の人の場合だが、生まれたときから複数の言語で育つ場合もあるから、その際は何が第一言語かはわからないことになる。しかし、複数の言語で育つ場合も、ある程度高度な概念はどれか一つが核になっているという意見もある。そこから、中途半端な外国語教育によって、どちらの言葉もうまく育たず、学業に支障を来たす現象が起こってくる。

例の猫猫ブログで芥川賞をもらった楊逸を話題にしていた。そこからの連想が本日の話題だ。以前にも、小谷野先生はリービ英雄の例を挙げていたように、楊逸が日本語を母語としない作家の初めではないだろう。芥川賞を得た者としては初めてであろうが、小谷野先生がおっしゃるように特別視する必要もない。

そもそも母語でない者が小説を書いたくらいで大騒ぎする必要はない楊逸は23歳で日本に来て20年以上も日本で暮らしているんじゃないか。そんなことは、アメリカにいれば当たり前と思ってしまう。23歳の若さでアメリカに来たなら、多くの人はそれまで英語を話さなくても、20年も経てばたいてい立派な英語を話すものだし、読み書きもできる。大事なことは何が書けるかということであって、母語なのか母語でないのかという話ではない

確かに話し言葉と書き言葉は違うようだ。たいていの場合、23歳までに母語で立派な文章を書いていたような人は、その後アメリカで教育を続けて受けていれば、英語で書いても立派な文章を書くようになる。むろん、ときには(occasionally)母語でないゆえの間違いは起こる。しかし、英語を母語とする者が犯す間違いとそう変わるものではない場合が多い。要するに、何語であれ、文章を書ける者は他の言語でも書ける。

先日、ドイツから二十歳過ぎて移民した男性が、日本から来て40年も経つ日系人の小母さんの英語を馬鹿にしていた。いや、正確に言うと、何で40年もいて話せないのかと驚いたのかもしれない。私は、日本人の、あるいは日本語の特殊な事情を話して、彼を納得させるのに骨を折ったものだ。ドイツ語と英語なんて音韻構造もそっくりなんだよ。日本語とKorean のイントネーションみたいにそっくりなんだ。

しかし今は、楊逸を特別視する日本の文壇に呆れている。世間知らずだなとも思う。私の言う世間は日本国外のことではない。日本国内のことだ。日本に住みながらも、少なからぬ日本の学者は、外国語で立派な論文を書いていることを忘れないでほしい。本当に感心する。そりゃ、文学作品ほど言葉の機微に関係ないからだろ、だって。言葉というものがわかっていない言い草だね。

何で、私はブログでこんなことを書いているのか。現に二か国語の間を生きていたり、語学教師もしているということもあるが、新約聖書の著者の多くは、ギリシア語を母語とはしていなかったのだよ、ということが言いたかった。

四つの福音書ギリシア語のレベルと伝承などを総合すると、日常的にもギリシア語で育ち、ギリシア語で教育を受けていたのはルカ伝の著者だけである、と新約学者の多数派は見ている。ルカたった一人だよ。(ギリシア語がルカ伝の著者の母語であるということで、ギリシアが母国のギリシア人という意味ではない、念のため。)マルコ伝やマタイ伝は、教育があったとしてもパレスチナアラム語やヘブル語が中心の著者であったろう。ヨハネ伝は特別で、初めの草稿を複数のギリシア語に練達した者が編集しているとする見方が多い。

そうそう、アーマンとも言われるイーアマン(Bart D. Ehrman)の馬鹿たれが、ペテロなんか自分でギリシア語の手紙は書けまいなどと言っていたが、ペテロの故郷のガリラヤは他国人との交流もあったので多少の片言ギリシア語ができた可能性はあるし、パレスチナの地を出て30年以上も外地にあれば、国際語(今の英語みたいなもの)だったギリシア語で手紙が書けるようになっていてもおかしくはないのだよ。元は無学の漁師でも、人の上に立つような人は、実践の中での学習能力があるのは当然だろう。