Comments by Dr Marks

出典を「Comments by Dr Marks」と表示する限り自由に引用できます

重陽の節句に思う2題(財団法人と時代区分)

今日は日本では9月9日、重陽節句ですなあ。そんな習慣はもうないか。てか、日本じゃもともとなかったのかな。小谷野先生にでも聞かないとわからんわ。

えーと、追加説明します。下の話でわからんことの一つが二番目のタイプの事業収益型財団法人らしい。具体例はですね(日本の例はやめて)アメリカで言いますと、教育系のテレビ局などですね。全国的なPBS(Public Broadcasting Service)とか私の地元のKCETなどは寄付を募って文化的な放送に尽力しております。涙ぐましい努力ですぞ。一番目でも、三番目でもないタイプの事業体です。これには税制上、寄付する側も寄付される側も無税ということですが、日本でも同じですね。アメリカでは更に、寄付した人は所得控除も受けられます。
なお、これも誤解が多いのですが、民法上は第三の安直に税金だけ食っているタイプの財団法人というのも実は「私企業」なのですよ。税金だけ食っているところが一般の私企業と違います。よほどの公益がなければアメリカなどでは存在し得ない組織ですなあ。金持ち日本の不思議ですわ。

財団法人(橋下大阪府知事騒動に寄せて)

よその国のどうでもいいことにはモンロー主義の私ではあるが、橋下知事があまりにも誤解されていそうなので、関連して「財団法人」とは何ぞや、を短く語ろうと思う。

またまた、ご冗談をと言われるかもしれないが、私は実は「財団法人」の権威である。川瀬先生なんかは今頃ポカン(・_・)となさるかもしれないが、私は財団法人がどれだけよい事業ができるかも、どれだけいい加減な経営ができるかも知り尽くしている。更に、日本の財団法人の役員に就任した経験もある。

あまり具体的なことや、法律的なことはよそうと思うが、財団法人というものは公益法人として「寄付行為」(一般の会社や社団法人の定款にあたるもので、組織の憲法である)と財務諸表は一般に公表しなければならないから、件の財団法人もネットでみることができるようになっている。なお、「寄付行為」中の役員名簿は設立時の役員名簿であり、現在の役員名簿は別表によらなければならない。

さて、一口に財団法人といっても実際は事業形態によって下記に大別される。
(1)真正財団法人、(2)事業収益型財団法人、(3)税金投げ込み型財団法人の三つである。

諸兄諸姉の財団法人のイメージは(1)に属するものであろう。すなわち、ビル・ゲイツ、ロックフェラー、アンネンバーグ、グーゲンハイムなどの財団で、これらはいずれも文化や教育に多大な貢献をしている。我が地元ならゲツィーとか少しスケールは落ちるがヴィーゼンタールなどは基金(基本財産)の利子や運用資金をもとに事業を行っている。ときたま、公的助成を受けるような弱小財団もあるが、受けたとしても微少で、ほとんどは自力で事業を継続している。

事業収益型(2)というのは、基金には恵まれないが、一般の会社のような自助努力によって事業を推進し継続していく財団法人のことである。この型の財団法人も公的な資金の補助を仰ぐこともあるが、そのような補助がなくても公益事業の収益には原則として無税という恩典があることは、実質的な公的補助を税制の面で受けていることになるかもしれない。しかし、忘れてならないのは、この型の主たる財源は事業収入であり、職員一人一人の労働と努力は民間とさほどかわらないということである。また、事業による収益が望めなくなれば設立趣意にある事業そのものが継続できず、倒産することは一般の会社と同じである。(なお、付言すれば、株式会社と違い、理事会に無制限の経済的責任が課せられる可能性があることは、一般の会社以上に厳しい責任があると言えるかもしれない。)

最後の型は、親方日の丸、おんぶに抱っこの税金消費型財団法人だ。この法人の存在理由は事業の正当性にしかない。たとえ金食い虫であろうと、正当な事業を効果的に行っているのであれば存在の正当性があると言える。ところが、実態はそれほど楽観的なものではない。私の経験では、この種の組織は、天下りや既得利権屋のものであり、存在理由などほとんどない場合が多い。些少の理由があったとしても、既存の組織に委ねることが可能な程度の価値しかない。代替可能なクソ事業である。

件の組織の場合は、「寄付行為」と財務諸表から言えることと言えないことがある。言えないことの筆頭は、事業の社会的存在意義である。従って、私もこの財団法人の存在意義については判断を差し控える。ただ単に幾つかの大事な事実だけを述べる。それだけでも、これらの書類の見方を知らない人には役に立つと考えるからだ。

まず、このサイトの組織名の下に小さく書かれている「◇財団概要」をクリックしてほしい。すぐに、「法人の概要」に基金(基本財産)は1,000万円というのに気が付くだろう。たったの1千万円である。しかも篤志家の寄付ではなく、大阪府の税金から100%出資したものである。設立のための法定ミニマムの見せ金で、もともと基金をもとに事業を展開する意思はなかったことが明白だ。

次に、人員の数を見よう。ここで役員・評議員というのは原則として無給の名誉職であり年に1回あるいは数回の会議に出席するだけの人と見て構わない。だから、飾り人形と見て無視して構わない。実際の働き手は、その下にある常勤10名と、役員兼務(常務理事)非常勤職員と17名の非常勤職員である。

しかし、17名の非常勤職員は、実際のところ人数には意味がない。総労働時間がどれだけであるかと時給がいくらかが問題なのだが、この表からは読み取れない。(財務諸表では職員給与ではなく、賃金となっている項目が彼らの給料と見て差しつかいない。)多分、常勤職員の給与平均のせいぜい数名分が17名とされる非常勤職員に支払われているとするのが妥当だろう。

ここでもう一つの問題は、役員兼務非常勤職員とされる者の性格である。役員というものには一般職員のような就業規則や拘束時間というものは存在しない。本当は常勤も非常勤もないのだ。ここに1名だけ特記されているということは、この者が実務上の最高責任者(名目上は理事長が最高責任者だが、財団法人の理事は平理事も理事長も同等の責任とされる)であって、実際は常勤である可能性が高い。(健康保険証などを出していたら非常勤とは言えないな。)

そうすると、17名の非常勤がいても、通常の勤務者は10人の職員+役員兼務の職員1名+数名で輪番の非常勤職員となろう。これらが、事業を推進していることになる。次は財務諸表を見てみよう。こういう事業体というのは毎年相も変わらず判で押したような決算書になるものだが、一応、確定している最新のものが平成18年度なのでそれを土台にする。

こっけいなのは、この年、96万8千円の赤字決算である。総予算規模が1億8千万円超なのだから、この程度の額なら(2)の事業収益型財団ならなんとか監督官庁につけ込まれないために、微調整してわずかな黒字として決算するものだが、(3)の場合は逆で、大赤字は困るが予算をギリギリ消化しましたとのポーズが必要である。従って、このようなわずかな赤字決算とすることが多い。経理をやったことのある人間なら誰でも1,000分の5の数字合わせなどピースオヴケイク、おちゃのこさいさい。千円で買い物して、5円なんとかすることは子供でもできるだろう?

常勤職員の年収は簡単に出る。フリンジベネフィットは別で正味平均は600万円超である。役員兼非常勤職員が実質的には常勤であれば1,000万円の年収であろう。また、職員のナンバー2から3辺りまでは800万円前後と思って間違いない。しかしまあ、こんなことはどうでもいい。1億8千万円超の事業の収入は何かということが問題だろう。

130万円は国からの委託と称する補助金であり、残りのほとんど、すなわち1億7千万円超は大阪府からの、同様に委託金と称して支出された税金である。収入のほとんどが税金だ。従って、この組織も、上に私が分類した(3)税金投げ込み型財団法人の典型であると言っていい。大阪府民が負担しているのだから、存続に関しては大阪府民が何か言えばいいのであって、外からは勝手なことは言わないほうがいい。

支出だが、半分は人件費である。フリンジベネフィットを加えれば半分以上だ。これは管理費として計上されている金額のほとんどと言っていい。さて、肝心の事業費であるが、ここで最大のものは建物の維持費である。冗談を言えば、事業費というよりオフィス「管理費」じゃござんせんか、ということなのだが、図書館としての設備や図書購入にかかるので普通のオフィスの維持費以上になることは当然だが、それだけのことである。

さて、結論、と言いたいが、先に述べたとおり、これだけで全てがわかるわけではない。実際この組織が、真に1億8千万円の血税に見合う事業をしているのなら問題はない。その辺りは別の方法で確かめなければならないだろう。例えば、監視カメラで職員の働き振りを府民(知事を含む)が観察してみるとか(これ冗談半分、本気半分)、府民は積極的にサービスを受けてみるとかだ。府民の方々、この最後のことは大事だよ。残せ残せというならば、積極的に利用することが大事なんだ。また、職員も積極的に利用者を増やすことが大切だろうな。やる気があるなら、そうするように勧めるよ。知事があなた方を雇っているのではなく、府民だからね。

時代区分(猫猫先生に寄せて)

もう上に書きすぎて書けないよ。しかし、先生のおっしゃるとおり、時代区分なんて恣意的といえば言いすぎだが、基準が変われば変わるものである。便宜的なものであるから、科学的な基準でもあるかのごとく言われたのであれば、確かに「困っちゃうな♪」なのである。

ただし、ローマ帝国の滅亡までを古代とするなどの慣例的区分などを変更する際には識者の合議が必要と考える。少なくとも、高等学校レベルまでの歴史教科書においてはなるべく混乱は避けたいものである。詳しくは次の機会にする。今日は疲れた。