シャバートにラビの話を聞いた
動画は、記事とは直接の関係がない。"Amen" というホロコーストとヴァティカンの関係を描いた映画があったが、厳密な史実というわけではない。戦時下のヴァティカンをなじるような作品であるが、よく見ればわかるように、イエズス会士らの立派な人々も描かれている。
「シャバートにラビの話を聞いた」といっても、シナゴーグに行ったわけではない。教育テレビ(アメリカの)の一つに夕食後チャネルを回したら、若いラビとの会談番組だった。
今、旧約聖書をやっているせいなのかもしれないが、やたらとユダヤ教徒の神に対する敬虔さに納得させられる。イエス・キリストのように、人の中から神だと言われれば、眉に唾つけたい気持ちもわからないでもない。
敬虔ということを考えると、カトリックやオーソドックスはいいが、プロテスタントは救いがたいと思うこともある。私自身プロテスタントなのにそういうのは不思議と思うかもしれないが、(これは独り言だけど)本当にそうなのだ。プロテスタントのほとんどは、単なる思想にすぎない。そして、神に対しては傲慢だ。
そういえば、ホストがラビの話に時折「エイメン」と相槌をうっていたが、あれは元々ユダヤ教徒の「その通りです」という信仰告白だから、キリスト教徒のものではないので正しい相槌だった。ユダヤ教からキリスト教になったときも、この習慣はそのまま伝えられたことになる。
しかし、発音は「アーメン」であり、英語訛りの「エイメン」はおかしい。ヘブル語の「アーメン」は、ギリシア語の新約聖書でも、そのまま「アーメン」と書かれている。