Comments by Dr Marks

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No.7

『聖書のおんな』― 4. リベカの巻

リベカの名が登場するのは創世記の22章23節である。アブラハムの兄弟ナホルと妻ミルカの8人の子供の末っ子にベトエルがいて、そのベトエルにはリベカという娘がいると紹介されている。つまり、リベカの父ベトエルはイサクのいとこになる。

ベトエルについてはよくわからない。影の薄い男と言ってもいい。むしろ、頻繁に創世記に出てくるのは、リベカの兄(弟ではないだろう*1)ラバンであって、アブラハムの僕に応対するのもこのラバンと母が中心である。イサクとリベカの子ヤコブが寄留するときはおじラバンの代であることはうなずけるが、イサクのときもラバンであるということは、既にリベカの父ベトエルは隠居の身であったかもしれない。イサクはいとこのベトエルより年下であるというよりは、イサクがリベカに会ったときは、イサクが既に不惑に達していた(創世記25:20)というのであるから、ベトエルは老人となっていたのかもしれない。リベカを嫁に出すことを了承したときも、「ラバンとベトエル」という順であり、その逆ではなかった(24:50)。

リベカは親切で利発な娘だった。この娘を探し当てたのは、イサク本人ではなく、アブラハムの僕の頭であった(24章)。このイサクの嫁探しの命を受けたアブラハムの僕は、アブラハムが全財産の管理を委ねている信頼できる男だった。嫁探しのこのときは年老いていた(24:2)というから、男の名はダマスコのエリエゼルかもしれない(15:2)。事実、エリエゼルと明記されているわけではないが、古来、エリエゼルであると断定されていた。

エリエゼルは、アラム・ナハライムのナホルの町に到着する。アラム・ナハライムはパダン・アラムであるとすれば、ユーフラテス川の中流から北の地方であり、アブラハムの兄弟ナホルの町とはハランのことである。ハランだとは書いていないのに、これも古来ハランだとされる。それは、エリエゼルの場合と同じで、他の聖書の箇所ではハランになっているからにすぎない。

さて、この老僕エリエゼルは、アブラハムより託された10頭のらくだと高価な品々を携えてこの町に来た。多分、老僕は護衛を兼ねた屈強の若者数名は伴っていたはずである(24:32)。選りすぐった10頭のらくだだけでも財産であるが、更に高価な品々をらくだの上に積んでいるからである。

今、私は、リベカが「親切で利発」だと書いた。しかし、聖書にはそのような記述はなく、むしろ「際立って美しい」と外面について説明しているだけである(24:16)。しかし、彼女のエリエゼルに対する応対を読めば、彼女が親切で利発なことはすぐわかる。

老僕はナホルの町に着いて、町外れの水場にまず腰を下ろす。水場には娘たちが集うからだ。しかし、その中からナホルの孫娘をどうやって探せばいいのであろうか。大声で、ベトエルの娘さんはどなたじゃ、と叫べばよいかもしれない。しかし、老僕は別の方法を取った。アブラハムの神に祈ることである。思うに、アブラハムが老僕エリエゼルを信頼する根拠は何かといえば、この同じ信仰と同じ敬虔さではなかったろうか。老僕の祈りの要旨は次のとおり。

彼はまず、丁寧に娘に水を乞う。しかも、「少しの」という具合にへりくだって頼むのだ。それにも拘わらず、その娘が快くたらふく飲ませてくれ、なおかつ、らくだにも自主的に水の世話をしてくれるようなら、イサクの嫁にふさわしい。

すると祈りも終わらないうちに、ここが物語の物語らしいところではあるが、早速やってきたのはリベカだった。ということは、辺りに他の娘はいなかったのかもしれない。このリベカは、まさに老僕の祈りどおりに親切で気が利いている。しかし、リベカがらくだにたっぷりと水を与えている間、老僕はなおも静かに彼女を観察し続ける。そして、らくだが飲み終わったときに、半シェケルの金の鼻輪一つと10シェケルの金の腕輪二つを彼女に与える。

今日現在のニューヨークの金の相場で言えば、鼻輪だけで2万3千円くらいだ。ただし、デザイン料がこれに加わるだろう。20シェケルの金の腕輪セットは金だけで92万円くらいだから、鼻輪と合わせ、おおよそ金だけで百万円を与えたことになる。

さて、リベカは娘として、美しい装身具をもらって嬉しかったに違いないが、金銭的な価値は知っていただろうか。おそらく知るまい。しかし、知っていた男がいる。彼女の兄ラバンである。

鼻輪と腕輪で有頂天のリベカは、老僕が彼女の名を問い、一夜の宿を乞うのに対して、自己紹介と宿泊の準備がある旨を答える。求める娘であることを知った老僕が神に感謝してるうちに、高額の贈り物に驚いたラバンが急いで老僕のキャラバンの許へと駆けつける。どうやら、ナホルは既に亡く、ベトエルも隠居の身で、ラバンが当主のようだ。

ラバンは早速宴を開いたが、食前に老僕エリエゼルは、アブラハムとイサクの願いとリベカとの邂逅の次第を語る。当主のラバンも隠居のベトエルも、主のご意志ならと二つ返事でリベカを嫁すことに同意した。老僕は地にひれ伏して神に感謝し、リベカに新たに貴金属の装身具や衣装を与え、ラバンとリベカの母親にも高価な贈り物をした。

これらの贈り物が結納なのかどうかはわからない。しかし、ここでもなぜかベトエルには贈り物が与えられたとは書かれておらず、その妻であるリベカの母の名は記されていない。かくして宴はいよいよたけなわとなり、老僕エリエゼルとその供の者たちも安心して酒食を楽しんだことであろう。

しかし、一刻も早くリベカを連れて帰りたい老僕は、翌朝早速その旨をラバンらに伝えると、リベカの家族らは思いがけない急な出立に驚いて、10日ほど待てと老僕に願う。確かに、急に嫁すことになった者との別れは辛かろうし、しばしの出立の延期は婚礼の祝宴の意味もある。*2 しかし、老僕の早い出立の決意が固いため、家族らはリベカ本人の意向を確かめることにした。すると、「私はすぐにでも出立して構いません」と言うではないか。

ラバンは已む無く妹に祝福と別離の祈りをし、老僕の一行にリベカをリベカの乳母デボラ*3や複数の侍女を付けて引き渡した。それほど昔ではない50年ほど前までなら、日本でも欧米でも金持ちの階級なら、乳母や侍女が嫁と一緒に婚家に入ることは稀ではなかった。しかし、このリベカの場合は、単なるラバンの裕福さというより、ナホルの町の族長(領主)の娘としての格式を示すものかもしれない。また、ラバンが自分の娘ラケルを甥のヤコブに与えたときとは別で、最終的には皆に祝福されての嫁入であったことに注意したい。

面白いことがある。このときイサクはどこにいたか。イスラエル南部のネゲブだ。べエル・ラハイ・ロイの近くに違いない(25:11)。アビメレクとの契約により、ハガルとイシュマエルを神が救った場所であるべエル・シェバにアブラハムが住むようになっていた(21章後半)のだから不思議ではないが、しかもイサクはべエル・ラハイ・ロイ、すなわちハガルの最初の逃亡の地(16:14)から戻ったばかりであったことを思うと、イシュマエルとイサクは意外に近い関係であっても頷ける。二人してアブラハムを仲良く埋葬した(25:9)だけではなく、異母といいながらも兄弟が隣接して暮らすことで外敵からの防衛的同盟が可能だったと考えることもできる。

時は夕刻、暗くなる前であった。イサクは野原を散策していて目を上げたら、らくだに乗ったリベカの一行に気づく。多分、真っ赤な夕焼けが映える中に、鼻にリングを着けた妙齢の美人がいたら胸がときめかないほうがおかしい。リベカも目を上げて夕焼けの中のイサクに気づく。イサクはこのとき40歳であるから(25:20)、心もとない若者ではなく、既に堂々とした偉丈夫の男の姿であった。

聡明なリベカは、ただならぬ人物との畏敬の念から、乗っていたらくだから降り、へりくだった挨拶の身構えをしながら、エリエゼルに尋ねる、「野原を歩いてこちらに向かって来られる殿方はどなた」と。おそらくリベカは、その見事な男が夫となるイサクであることを既に察したことであろう。老僕への質問は、確認にすぎない。

イサクと確認して、リベカは角隠しであるベールを取り出して被る。花婿に会うときの作法である。老僕は今までのことをイサクに報告したとあるが(24:66)、アブラハムはどうしたのであろうか。多分、イサクが迎えに来ているということは、老僕の従者の誰かが既に詳細をアブラハムには伝えていたのであろう。

イサクはリベカを亡き母サラのテントに案内する。イサクは、母サラが亡くなってから4年の間(23:1)の寂しさが今晴れるのを感じた。彼にとってリベカはとても好ましく、生涯リベカだけを愛することになる。確かに、父アブラハムのように、また子供たちエサウヤコブのように、複数の妻をめとったりすることはなかったようだ。聖書は妻としてリベカのみを記し、子供はリベカによる二人の子供だけを伝えているからだ。

アブラハムのときと同じように、イサクも飢饉を逃れるためにゲラルに至るが、ここでまさに父がしたように妻を妹と偽って紹介する。ところが、ゲラルの王アビメレクは、たまたまイサクがリベカと(性的に)戯れているのを目撃してしまう(26:8)。そして、ここが多少疑問なのであるが、アビメレクはアブラハムとサラのとき同様にイサクとリベカに対して何人たりとも危害を加えてはならないと布告して彼らを守る。

イサクはリベカを愛したが、子供に恵まれなかった。イサクは愛するリベカのために心から子宝を祈った(25:21)。今、リベカのためにと言ったのは他でもない。もし、リベカが石女(うまずめ)であるなら、家督のためにイサクは他の女を試さなければならなくなるからだ。しかし、幸いにして結婚20年後に、リベカは双子の男の子を授かる。長男エサウと次男ヤコブだ。

長男エサウは毛深く野性的でイサクの好むところとなるが、なぜかリベカはおとなしいヤコブを好んだ。いや、父親がエサウを可愛がりすぎるので母親がヤコブを受け入れたというほうが正しいのかもしれない。しかし、母親リベカが胎内で争う二人を心配して神に祈った際に、将来のヤコブの優位を知っていたからなのかもしれない(25:23)。更にまた、それ以上に、リベカはエサウが勝手にヘト人(ヒッタイト人)の娘たちを嫁に迎えているのが許せなかったのかもしれない(27:46)。

それ故、リベカは、ヤコブエサウの長子の特権を姦計を用いて奪う手筈を整えることとなる。長子の特権の略奪は二段階で行われた。最初は、エサウ自身の責任で安易にヤコブに譲ることになる「食い物による誘惑事件」(25:27−34)であり、次は母リベカ演出の「騙されためくらのイサク事件」あるいは「リベカのヤコブ可愛さ計略事件」(27:1−40)。これらの話は、それ自体で長いので省略する。これらの事件を知らない人は私の示した箇所をそれぞれ読んでほしい。

しかし、リベカのこの事件における鉄の女の如き意志の強さと巧みな計略については強調しておかなければならない。ヤコブが怖気づいて「私は兄さんのように毛深くはない」と言えば毛皮をまとわせるし、「もし失敗すれば、祝福どころか呪いを受けます」と尻込みすれば、その呪いは私が受けるとまで宣言した女である。後にヤコブがラバンに従順でありながらも自分の意志を貫き、エサウとの再会においても慎重な策をめぐらしたのは、この母リベカ譲りだったのであろう。

エサウはカインのごとく弟を殺しかねなかったので、リベカはリベカの兄ラバンの許にヤコブをかくまってもらうことにした。リベカは、二人が争って「一日のうちに子供二人を失うのはやるせない」と嘆く(27:45)。何としても、ほとぼりが冷めるまで、ヤコブエサウの許から遠避ける必要があった。思うに、実際そうであったが、エサウは瞬間湯沸し型で案外に憎しみなど持続する人間ではなかった。後にヤコブと再会したエサウは、この弟を抱きしめ口づけし泣いて喜んだ。そのような腹黒さのない兄である(33:4)。

リベカはもちろんイサクもヘト人の嫁たちが嫌で嫌でたまらなかった。それ故に、二人はヤコブに同族から嫁を取るように言い聞かせた。具体的には、ラバン伯父さんの娘の中から嫁を選べと指示してヤコブを旅に出すことになった。エサウはこの事件から、両親がヘト人を嫌っていることを気にするようになり、結局、イシュマエルの娘マハラトを3人目の妻とした。イシュマエルの娘なら、身内は身内であろうが、あくまでも傍系にすぎない。

さて、リベカのその後であるが、聖書は何も伝えていない。ヤコブが帰還したときにリベカは既に故人であるから、ヤコブを送り出したときが、リベカにとっての永久の別れであった。そのときは、互いに知る由もない。リベカはイサクと共に、アブラハムとサラの墓に眠っている。後に、ヤコブの最初の妻レアもここに葬られた(49:31)。

*1:日本語訳は兄としているが言語的には兄か弟か不明。

*2:実際に、花婿トビアに舅ラグエルは14日の滞在を願う(トビト記8:20)

*3:母の名はないのに、乳母の名は知られている(35:8)。