Comments by Dr Marks

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たかがブログのたかがコメントではあっても「なるほど、そういうことですか。」

今日、小谷野先生の猫猫ブログで黒古という人のブログが再開されたと知らされた。分野的には興味のない人のブログだが、社会現象として面白かったので野次馬になった経緯がある。それだけのことだが、私は野次馬になっても無責任なことは常に言わないように心がけている。いや、主観的に心がけていることと客観的にみて無責任かどうかは別なことであることは知っているから、自分はふざけていないぞと主張するわけではない。

実際、私は自分のブログでは馬鹿なことばかり書いている。しかし、よそのブログにお邪魔してコメントするときは「真面目」なつもりなのだが、人はかならずしもそうとは取ってはくださらない。だから、なるべく丁寧にコメントすることにしているし、言葉遣いにも気をつかう。ただ、打ち解けてしまったと DrMarks が勝手に判断したブログにおいては軽口を叩くこともあるが、礼を失したことはないつもりだ。もっとも、ブログはたかがブログであるし、そこへのコメントもたかがコメントかもしれない。だから、ブログが消えようとコメントが消えようと、基本的にはどうでもいいことである。

私のコメントが消えたのは黒古氏に始まったわけではない。さまざまな方々に削除されてきたものである。「札付きコメント屋」的なことを言われたので、仕方なく作ったコメント専用のブログの成りの果てがこのブログだ(設立2007年9月)。私が「本家」と呼んでいるブログも、私からコメントされるだけで私にコメントできないのはフェアではないなと思って2006年の秋に作ったものである。それ以来、自分のブログの記事そのものを retract(取り消し)したことは一度もない。その代わり、不都合や誤りがあったは場合は訂正を掲載した。なぜかというと、私が古代からの文書を扱う習慣からなのか、そのような誤りや不都合や修正などの経緯そのものが面白いと、自分は思うからである。

私へのコメントもコメントくださった人が削除を望まれるか無意味なコメント(スパム的なもの)や第三者に迷惑のかかるもの以外は削除したことがない。極端な話、本家でも罵倒されたことはある。しかし、その罵倒を含めて「記録」であり、見るべき人が見て資するところがあったなら、時間を掛けて「たかがブログ」を書いた意味もあるかなと思うからである。

実は私は馬鹿にされることには慣れている。どうしてかという私の半生や生い立ちに関しては簡単には記せないのだが、馬鹿にされたり、恥をかいても、それが何だという気持ちのほうが強い。だから「たかがブログ」も書くし、「たかがコメント」も書いてきた。そうは言っても、「恥」を知らぬ人間も困ったものだから、私も「困った人間」の一人かもしれないが、少しは恥というものを知っている。私が知っている恥とはどんな恥かって? 知りたい? 

腐るほどあるが、今は二つだけ書く。一つは、下腹が出すぎた近頃の体型だ。死ぬほど辛い(涙;)。もう一つはネガコメ(英語的にはunfavorable commentsという)をもらったからといって削除するようなブロッガーの存在だ。そんなことをするくらいなら死んだほうが、否、ブログを閉じたほうがいいじゃないか。好きなコメントばかりもらって喜んでいるようじゃ幼児じゃよ。幼児病! (皆様、こんなオイラでも誉めてくださるとウレピー! ←これが本心だな。)