Comments by Dr Marks

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思いがけないところで読んでくださる読者と語学教師のこと

昨日、人伝に、思いがけない人というよりは、信仰深い方なので思っていた人ではあるが、読んでいてくださったとは思いもしなかった方が読んでいたと知らされた。日本語使いというのは日本に住んでいなくても、また日本人でなくてもいくらでもいることはいるのだが、その方は立派な日本語を読み書きする方なので、読んでいたと聞かされて、ちょっと恥ずかしい。

一月ほど前には、これも思いがけない人ではないどころか、常々の祈りの中にいた人なのだが、私のほうからは連絡の取りようがなかった人から、検索で見つけたらしくEメールをもらうことができた。また、近況の写真までEメールで送ってもらったので、今は大きな額に入れて毎日見ている。日本の人は、写真はアルバムに入れてしまうのだろうが、こちらでは方々に貼り付けている人が多い。わが師の奥さんは、師と一緒の私の写真を台所に置いている。私も机の上、書棚の上、ピアノの上とあちこちに置いている。第一、ピアノなんて弾かないから物置のようなもので額が5−6個並んでいる。この先は、壁を埋めることになるのだろう。

恥ずかしいブログの話に戻るが、やはりこんなことばかり書いていないで聖書の話を書くべきだろうが、どうも構えてしまう。それで駄文ばかりだから恥じ入ってしまうのだ。同時にその方が、私が語学教師もしていることを聞いたらしく、それではもったいない、と言ってくださったが、語学教師はやっていて少なくとも楽しいし、聖書の話なども勝手にしてしまうので悪いことばかりではない。そういえば、猫猫先生も(東大教養学部だから私などと比べるべきではないが)語学教師だし、アーマンともいわれるイーアマンを懲らしめて(からかって)くださるガンドリー先生も、昨年亡くなったショーラー先生も語学教師だった。そういえば、わが師のブラウン先生は語学教師をやっていない。初めから哲学だか神学だか、そのミックスのようなものをイギリスで教えていた。お陰で妙に細かい言い回しにこだわる方で、私の独文から英文への訳では必ず駄目出し(というか、いちゃもんを付ける)する人だ。語学教師をやると、手加減とか細かなところには目をつむる度量もできるのだがなぁ。完全な言葉などないのがしみじみわかってくるのに。