Comments by Dr Marks

出典を「Comments by Dr Marks」と表示する限り自由に引用できます

バート・イーアマンの新刊 "Jesus, Interrupted" 紹介Part(1)

Jesus, Interrupted: Revealing the Hidden Contradictions in the Bible (And Why We Don't Know About Them)

Jesus, Interrupted: Revealing the Hidden Contradictions in the Bible (And Why We Don't Know About Them)

松田和也君、Bart D. Ehrman の発音は、アーマンじゃなくてイーアマンなんだよ。君はイーアマンの本のタイトルなども含蓄を無視していい加減に訳しているが(あっ、出版社の意向かもしれないね)、今度の本はどう訳すのかな。それはともかく、今度の本は多少今までの「やさぐれ」本とは違う。何しろ孫娘の Aiya ちゃんに捧げた本だからね。Aiyaというのはユダヤ人のお嬢ちゃんの名前だ。イーアマン家と奥さんの家のそちらのほうの関係は本家に書いたかもしれない。Aiyaの意味といえば普通は鳥と思われているが、実はハゲタカなどの猛禽一般を意味するעיטから来ている。

まあ、それはどうでもいい。この本で彼は主に二つの対象に向かって吼えている。まず、やたらと余計な知識ばかりで聖書そのものを知らない学生(とくに神学生)、そして新しい(といってもものによっては100年も前からなのだが)聖書への取り組み方を学びながら一般人(信徒)には隠している専門家だ。

2年前に日本のブログを訪問した頃はよく神学生や若手の神学者のサイトにおもむいた。そのとき驚いたのは、聖書学が軽視されていて、どうでもいい神学理論ばかりが花盛りだったことが印象的だった。聖書を知らずしてキリスト教神学はないだろう。この点、イーアマンに同意。神学生の頃、ある日系アメリカ人教会で、壮年とシニアの二つの聖書クラスで歴史的・批判的聖書のアプローチを講義したことがある。受講者には好評だった。しかし、上のほうからのお達しで止めさせられた。イーアマンも同じような経験があるようだ。神学者や神学生が理解できるようなことなら、信徒だって理解できるんだよ。

彼自身は10年ほど掛けて徐々に原理主義キリスト教徒から普通の福音主義キリスト教徒になったが、更に15年ほど掛けてagnostic(神をとりあえず信じないが、はっきりとした無神論者でもない者)となってしまった。ムーディー聖書学校→ウィートン大学→プリンストン神学校→同神学大学院という学歴が如実に示すような信仰の変遷だ。彼は積極的に聖書の霊感説や無謬説に異を唱え(てか、まともな学者に、そんなの元々いてへんのやが、この人は元々根本主義キチガイ軍団にいたからね、揺り戻しが激しい)、聖書内の自己矛盾を取り上げ、正典の成立史や正統神学の成立にも啓蒙的な活動を行っている。

しかし、私も(本家でもここでも)度々言及したように、彼自身の聖書理解やキリスト教成立時期の知識は立派なもので危なげないのだが、その該博な聖書知識から agnostic になったのではないと、今回は宣言している。そもそも、(私も同感なのだが)歴史的・批判的聖書学によって表面上の聖書の矛盾や改変が明らかになったからといってキリスト教の信仰そのものが揺らぐというわけではない(本書最終章参照)。

彼自身は、聖書学の成果ゆえに不信仰になったのではないと明言している。それでは何か。世の中には「理不尽な悪や苦悩が存在する」のに、それでも善にして真実の神が存在するのは「不合理」だからだそうだ(本書P18参照)。

そうか、彼の専門である聖書学(とくに新約学)を学んだから不信仰になったんではないのだな。彼の問題は、度々述べたように神義論じゃないか。しょうもない。なら、おいらみたいに徹底的に神学(狭義の神学)を学んだらいいんでないの。徹底的に聖書学をやったから、いくら矛盾と不統一に満ちた聖書でも、それなりに合理的に理解できるんざんしょ。今度は10年くらい掛けて神学を学ぶことをお勧めしますわ。

この本の話はもっと続くと思うので一応Part(1)としておいた。今日は最後にイーアマンも書いている聖書の可笑しなところとしてヨハネ伝を紹介しておこう(本書P9参照)。13章36節でペテロが、ドミネ クオ ヴァディス?、すなわち「主よ、いずこへ行きたもうか」と聞いた。そして、14章5節ではトマスが同じように聞いた。ところがイエス様はその後で(16章5節)何と言ったと思う。「お前ら、誰も俺が『どこへ行く』と聞かんのか」と言って切れた。困ったイエス様。自分でぺらぺらしゃべりっぱなしで、部下の話なんざ、ちっとも聞きもはん。ペテロもトマスもちゃんと「どこ行くの」って聞いたんだよ、イエス様!