Comments by Dr Marks

出典を「Comments by Dr Marks」と表示する限り自由に引用できます

プロテスタントのキリスト教というのはいずれ宗教とは言えなくなるだろう

えーと、その前に、昨日の記事に公開を希望しないコメントがありました。内容ですが、やはりユダヤ人がアラブ地区に入るとひどい目に遭うという話です。そういえば、その逆もあります。アラブ人タクドラががユダヤ人地区に入るときは屋根のタクシーマークをはずすという工作も経験したことがあります。心の中で「まさにこれは白タクだ」と思っておかしかったものですが、アラブ人タクドラにとっては命がけの芝居でした。

で、今日のタイトルは昔から感じていたことで、本当は詳しい議論を展開する必要があるわけだが、一応ここに何となく表明しておこうと思う。プロテスタントという形のキリスト教は、だんだんと宗教であることから離れ、狂信的なキチガイ集団か、さもなくば哲学・倫理思想の集団か、生きがい探しの心理学集団になってしまった。宗教であることから離れたから、キリスト教でもないと思っている。

それならお前はどうしてプロテスタントの教会で説教などするかと問われるかもしれない。何、謝礼が欲しいからだよ。(嘘、謝礼などどうでもいい。自分としては、なるべく宗教改革以後の人間的な思いからではなく、本来のキリスト教からのメッセージを語れるチャンスだと思って引き受けているだけだ。)多分、このことを順序だてて述べるためには、一冊の本になりそうだが、今はプロテスタントキリスト教などキリスト教ではないわいな、とだけ表明しておこう。表明であって、証明はまたの機会に。