Comments by Dr Marks

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メリーHがハイチの被災者で思い出したこと(「我先に」を咎められない気持ち)

笑い話でもあるので不謹慎かと思ったが、本当の苦労の中での話だからいいだろう。雨の中、メリーHが例のゲヴィッチ料理を持ってきて、テレビニューズを観ながらぽそっと言った。「私もアメリカから着る物をもらった。」

「どこで?」というところから話が始まった。メリーHは、60年代初頭にルーマニアから逃げ出してアメリカに来た。しかし、ルーマニアを逃げ出してから6か月はローマ市内のカトリックの施設で世話になったそうだ。そこでアメリカに行くかイスラエルに行くか迷ったが、結局アメリカに来た。姪はイスラエルに行ったが、結局ろくなところではなく、後にメリーHを頼ってアメリカに来ている。

話を元に戻すと、ルーマニア人のシスターが、「アメリカから着る物がたくさん届きました。メリーちゃん、ユダヤ人たちがみんな持っていく前にあなた自分の物を取りなさい」と勧めてくれたのだ。確かに当時のメリーHは着の身着のままだったので、(彼女が言うには)おっぱいがぽろりと出そうなブカブカを着ていてかわいそうと思われていたそうだ。

ところで実はメリーHはルーマニアン・ジューすなわちユダヤ人だ。シスターはそのことを知らなかった。しかし、ユダヤ人がどうのこうのと差別的嫌味を言われても、そのときは怒る気持ちも(ましてや笑う気持ちも)起こらず、素直に人より先にという(一種の不正ではあるが)そのシスターの好意に甘えてしまったそうだ。