Comments by Dr Marks

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No. 1.

「共観福音書問題」(第1講)問題の定義と三つの用語:共観福音書、三重伝承、二重伝承

このように統一キーワードを建てたシリーズはろくな結果になっていない。まともに全33回の連載で完結したのは "Vermes, The Resurrection" のシリーズだけで、他は放り出したままだ。実際のところは、このような大袈裟なことをしないシリーズのほうが健在であるから、この "The Synoptic Problem" も先は真っ暗だ。

おまけに、この議論は平安のうちに聖書を読み、健全に信仰生活する人々には何の価値もないし、ましてや、聖書など歯牙にもかけない読者にとっては、退屈この上ない話題である。しかし、中には変人がいるもので、聖書を読もうが読むまいが、また信仰があろうがあるまいが、「なんかおもろないけ」と興味を示されるかもしれないし、「自分は本当は神学校か神学部に行きたかったが事情が許さなかった」という方もいらっしゃるだろうから、たとえ簡単にすぎようが紹介してみようと思っている。

もともとはネット上では、例えばウィキペディアにおいては、日本語によるリソースが足りず、マイケル・グールダー先生の著作の説明さえ困難と自覚したからであるから、このシリーズにおいてはなるべく日本語に徹するつもりでいる。しかし、日本語による説明を飛び越えて自分で先に行ける人のために、英語による専門用語等は、気が付くつど併記する予定である。なにっ、私のクレデンシャル(教師としての資格)がなんたらかんたらか? ぷっ、固いことを言うな。あんたの教団では認めんかもしれないが一般の高等教育機関では認めるよ。

共観福音書(Synoptic Gospels)とは? マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書のうち、前三者は内容が重なっている。「共」に「観」ているようにして書いているから、マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書を共観福音書と呼び習わしている。最後のヨハネ伝は前三者とは異なった様相を持つことは、自分で一度でも読んでみればすぐわかる。語源のギリシア語もそうだが、英語のシノプティックという形容詞も同様の意味である(syn + optic=共に目にする)。

従って、共観福音書を文字通り共観する目的で編集された聖書も存在する(Aland, Kurt. Synopsis of the Four Gospels. Greek-English, 7th ed. United Bible Societies, 1984)。主に学習用だ。しかし、これはギリシア語を判読できなければ役に立たないし高価である。廉価の英語訳だけのものあるが、要するに自分で自分の(日本語の)聖書に栞を挟んで読めばすむから、そのようなものを買う必要はない。

三重伝承(Triple Tradition)とは? マタイ、マルコ、ルカの全てに共通して登場する記事であるから三重にある伝承ということで三重伝承という。マルコの記事の大部分はマタイに含まれ、ルカにおいても三分の二は含まれているので、三重伝承の部分は多い。標準の聖書では、マルコは661節ある。マタイは1,068節、ルカは1,149節だ。そのうち、マタイの80%の記事が、またルカの65%の記事がマルコに共通すると計算する学者(Neirynck)もいる。

二重伝承(Double Tradition)とは? マタイ、マルコ、ルカの全てに含まれているのではなく、二つの福音書にしか現れない記事を指す。数学的組合せでは、マタイとマルコ、マタイとルカ、マルコとルカの組合せができるが、実際はマルコにはなく、マタイとルカの双方に存在する約200節の共通部分を指す。この部分は、今後の議論の中で三福音書の依存関係の重要な争点となる。

共観福音書問題(あるいは簡単に共観問題 The Synoptic Problem)とは何か? 極めて簡単に定義すれば、「聖書の成立過程において、二重・三重の共通する記事内容の存在はなぜなのか、そこで互いの依存関係あるいは互いの独立性の程度はどうなのか」という疑問を共観福音書問題という。この問題の学問的意義は多様であるが、聖書のよってきたるところ(聖書の系図)を明らかにすることによって歴史上のイエスの問題や、キリスト教の成立過程の解明に資することができる、ということが主要な意義であろう。また、現在は、共観福音書問題がQ資料仮説と対に取り上げられるように、本問題の解決は、同時に派生する諸問題の解決にも資することができる。