Comments by Dr Marks

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イスラエル映画「ならず者広場」とインド映画「サンガム」と日本の小説「こころ」または「源氏物語」第51帖

本当は下のイスラエル古代史のほうが、私の薀蓄を傾けたのだが、日本語がおかしいのと長いので人気がないかもしれない。この記事は、何の薀蓄もないが、寝る前に書いてみた。どうだろう。

「ならず者広場(Desperado Square)」は2001年作品でイスラエルアカデミー賞は五つ獲得している。長く閉じられていたテルアヴィヴ市郊外の映画館が、所有者モリスの息子たちの手で再開される。モリスはその映画館を閉じて久しいので成人した息子たちも往時のことは知らない。しかし、モリスが死んで一周忌に次男が夢を見たのを機に、長男や友人たちが協力して再開することになった。

そんなとき、死んだ所有者(息子たちの父親)の兄弟が数十年ぶりに現れる。彼は自分の兄弟の一周忌に現れたわけではあるが、実は未亡人(息子たちの母シニョーラ)に会いに来た。本当はこの息子たちには叔父に当たる男アヴラムにシニョーラは恋していたのだが、モリスがシニョーラを好きなことがわかり身を隠し行方不明となっていた。モリスにシニョーラを譲ったのだ。

モリスの息子たちが映画館を再開するに当たって、上映題目は何がいいか相談すると、皆がインド映画の「サンガム(Sangam)」を望んだ。ところがフィルムが手に入らない。映画好きの男イスラエルに探させるがうまくいかない。しかし、フィルムはアヴラムが持参しておりイスラエルに渡す。映画館再開の晩は素晴らしい夜になった。再び、ならず者広場の面々は、インド映画に涙し、声を合わせて歌う。素朴で貧しい暮らしのイスラエル人は、心はインド人と同じであることが不思議なくらいである。

映画が成功した後で、アヴラムはまた一人旅立とうとするが、最後に一人で映画を鑑賞することにした。終われば旅立つのであるから、小さなトランクを足元において観ている。すると、事情を知っている映画技師がシニョーラを連れてくる。二人は再び昔に返り、肩を並べて「サンガム」を観る。ラストシーンは映画好きだが金のないイスラエルが、屋根の上から映画を覗く姿だ。イスラエル人は屋根の上が好きだ。

ところで、「サンガム」だが、1964年のインド映画ではあるが、スイスやポーランドイスラエルでは古典映画として今でも有名らしい。私は知らなかった(てか、古典映画は何にも知らん。「戦艦ポチョムキン」くらいしか知らんわ)。この映画では、兄弟が恋人を譲るのではなく、親友が親友に恋人を譲るストーリーだ。うーん、心はインドもイスラエルも同じか。

一緒に観た細君が、英訳夏目漱石の薀蓄を披露した。「こころ」の先生とKだというのだが、どうも納得がいかない。先生は奪ってしまうような悪い奴だし、Kにしても積極的に譲ったわけではない。どうもどちらも好きにはなれない。私は浮舟かとも思ったが、これも理不尽。わからん。