Comments by Dr Marks

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ギリシア語母語のパウロとギリシア語が第二言語のヨセフスでは、どちらのギリシア語がうまいか(Twitterでの話題「イエスとピラトの会話」から、ふと書きたくて)付録:まるくす博士とガメ・オベールで、どちらの英語がうまいか

Twitterでの話題は、聖書でイエスがローマの在パレスチナ総督ポンティオ・ピラトと会話する場面で、彼らは何語を話したか、また通訳はいたのか、というものであった。さて、どのように答えるのが正しいか。実は正確な答はわからないのである。イエスはキリストであるから万能(何語でも話せる)という答で逃げることもできるが世間様がそれでは許さない。(世間様のほうがキリスト様より偉い社会もあるからね。なお、聖書を開きたい人は、マタイ27章、マルコ15章、ルカ23章、ヨハネ18章だよ。)

しかし、学者の間で穏当な意見というものはある。さまざまな歴史的・社会的事情から、このような可能性が「常識的に考えて」妥当だろうというものだ。もっとも、この分野で直接やっている人は、多少の色がついた独自の調査結果を披露したりする。とはいえ、穏当な範囲からあまり逸脱していると、いわゆるトンデモになってしまう。そこでいつでも日和見・多数派主義の私は次のように考える。

パレスチナは、イエスの前と後に(マカビ戦争時、バルコホバ戦争時)極めて強いギリシア化の影響があったが、イエスの頃は、少なくとも北のガリラヤ地方ではアラム語が主流、エルサレムを含めた南ではアラム語と並行して古典的ヘブル語(ヘブライ語)も口語として通用していた。ともかく、祭司や神殿で祭儀に携わるものはアラム語だけでは不十分でヘブル語が必須であった。

しかし、言語のことであるからアラム語といってもヘブル語といっても地域的差(方言)はある。ペテロがガリラヤの人間とばれたのは、マタイはマルコに補足して「言葉遣い」であったと記録した。なお、聖書の記者はアラム語の場合でもいちいち区別はせずヘブル語と記している。それほど両語は近いからだ。

その次に流通していたのはギリシア語(コイネー)である。政治的・商業的な国際語としての役割は、すでにローマが台頭していたにもかかわらず、ラテン語よりも力があった。ヘブル語の聖書(旧約聖書)のほかにギリシア語の七十人訳も大いに利用された。最も広範囲に地中海地方で通じる言語がギリシア語だったため、新約聖書ギリシア語で書かれ、旧約聖書からの引用も七十人訳だった。それでも、学者によっては(ex. Hengel)、エルサレムでは住民の1割から2割程度しかギリシア語を理解できなかっただろうと見積もっている。

しかし、イエスが育ったガリラヤやセフォリスの町では、交易のためにエルサレムよりももっとギリシア語が一般的であったという意見は多い。ましてや、総督ピラトのいたカイザリアを含む港町では、かなりの者がビジネスに必要な程度のギリシア語ができたと考えておかしくない。そうであれば、イエスは職業上(多様な顧客のいる大工、石工等の可能性あり)ギリシア語を少なくとも多少は使えたとしても不思議はない。

さて、ピラトのギリシア語能力だが、直接的なデータ・記録はイエス同様一切ない。ただ、彼の駐屯したカイザリアの町から彼の名を記した碑文を1961年にイタリアの学者(Frova)が掘り出した。多分というより明らかに彼自身が建立したものだろう。ラテン語だけである。カイザリアの町の人間はラテン語だけでわかったのであろうか。無理だろう。ローマから来た者たちか、彼らとの付き合いが深い者にしか読めなかったはずである。

しかし、パレスチナにおいては、ローマの布告文は読む者が極めて少ないラテン文だけでは意味がない。イエスの十字架に打たれたイエスの罪状(と称される)「ナザレのイエスユダヤ人の王」という言葉は、ヘブル語、ラテン語ギリシア語で書かれたとヨハネ伝19章が記すのには信憑性がある。では、ピラトはギリシア語で書けとは命じなかったのであろうか。

あのような石碑は文言を自分がギリシア語で告げなくても誰かギリシア語を使える者に指示すればいい。しかし、ラテン語だけが残っている。ほかの部分が未発見ないし消失したと考えることもできるが、むしろローマの権勢を誇示するためには、大衆が読めようが読めまいが(一部の者は読めるのだから)自国の言語だけ(ラテン語だけ)で公示したほうがよいという見方もある。

しかし、このアイディアを敷衍すると、ピラトは、イエスも自分もギリシア語ができたとしても、ラテン語で通し、通訳を介してイエスを尋問したとの考えも可能になる。なるほど、そうかもしれない。しかし、大衆の前でギリシア語を使えないローマ総督というのは、本当に威厳が保たれるのであろうか。何らかの契機にギリシア語も理解でき、使えることを示さなければ尊敬されなかったふしがある。

つまり、歴史家スエトニウスによれば、皇帝アウグストスはギリシア語が下手であったとか(下手でも使えるということではあるが)、ティトスはラテン語でもギリシア語でも自由に詩を書いたりしたとか、ローマの役人の素養としてのギリシア文藝とギリシア語能力をことさらに記している。上がそうなら下もそうで、ローマの役人は、ピラトを含め地位による差はあろうが、外地に遣わされてもローマ市内においても多少のギリシア語ができなければ不都合と考えるほうが無難なようだ。また、ピラトの後任のフェリクスもフェストスもパウロとの会話はギリシア語だったと考えるのが自然である。(エルサレム駐在の千人隊長はパウロとはっきりとギリシア語で話している。使徒行伝21章)

かくして、イエスとピラトはギリシア語で話したというのが一番納得できる結論となる。ヨハネ伝19章のように、内密の話もあれば尚更である。なお、イエス母語アラム語であるのは彼の生育地のガリラヤの土語としてのアラム語福音書に散在する彼の言葉としてのアラム語(アバ、タリタクムなど)から明らかである。また、ギリシア語のほかに古典へブル語を解したことは、会堂でのイザヤ書朗読やパリサイ人との論争から、ほぼ間違いない。しかし、ラテン語についてはいかなる状況証拠もない。イエスは三つの言葉だけ使えた。しかし、説教はもっぱらアラム語であったろう(ex. Meier)。

もう疲れたかな。いよいよ、パウロとヨセフスだぞ。

パウロ母語ギリシア語というのが有力説である。しかし、アラム語も幼児の頃から親しんでいた両語母語(完全バイリンガル)と考えることも可能だ。その上で古典へブル語も学んでいるだろう。彼が生まれたのはグレコローマンの町タルソスであるしローマの市民権も持っているのだから、多少のラテン語の素養もあったかもしれない。しかし、彼の説教はもっぱらギリシア語であったろう。手紙もギリシア語で書いている。アラム語からの翻訳ではない。

ヨセフスの母語は格式のあるほうのヘブル語だが、自身が認めるようにアラム語も自在であった。また、ギリシア語は学んで得た言語であるが、ある程度自由に使えたろう。後の皇帝であり、当時はローマ軍大将としてエルサレムを攻めていたティトスが籠城軍に降伏を勧める際、現地語を母語とするヨセフスに説得を命じたことがある。ティトスは、前述の如く得意のギリシア語でエルサレム守備軍に語ることもあったのだろうが、いつも通訳を同伴した。ユダヤ人の多数はギリシア語を解さなかったからである。その際、ヨセフスも、ティトスの参謀であると同時に通訳の一員でもあったろう。

このヨセフスは、死ぬまで大部のギリシア語著作を何冊も書き続けながら、しばしば自分のギリシア語の不完全さを率直に記している。つまり、ネイティヴではないことから来るテニヲハの難しさや表現の不自由さが残ったのであろう。それは、母語でない者にとって自然な嘆きだと思う(ex. 『古代史』前書)。しかし、後代のギリシア語使いの専門家はおおむね、ヨセフスのギリシア語のほうがパウロよりも洗練されているという。

なぜか。ヨセフスは正しいギリシア語と優雅なギリシア文を教則本としてギリシア語を正規に学んだに違いないからだ。ヨセフスにとってギリシア語は母語ではなく、学んで得た習得言語だ。更に、ギリシア語を磨くに当たっては、先達であるティトスの助言もあっただろう。それにひきかえ、パウロ母語である気安さから、精進はなかったのかもしれない。翻訳で読んでもわかるだろうが、掛かり具合が不明なだらだらとした文が多い。悪文だ。

ヨセフスには編集者とか助力者がいたのであろうが、それを言えばパウロの書簡も聖書に編入される際に多少の編集があったと考えることはできるので条件は同じだ。ヨセフスはギリシア語の堪能なティトスとはギリシア語を介して話していたのであるから、第一稿を書いたのは常にヨセフス自身のはずだ。そして、編集者として仕事をしてみればわかることなのだが、オリジナルの第一稿の良し悪しは編集を経ても大きく変わることはない(テニヲハの細部の磨き上げは編集でできる)。

最後に、ガメ・オベールの英文とまるくす博士の英文だが、オベール氏のものはほとんどネットから削除されたかもしれない。まるくす博士のものでネットにあるのは本家のいくつかの記事、例えばこれを参照できる。(オベール氏は英語が母語と公言している。逆に、まるくす博士は日本語が母語で英語は第二言語と言っている。また博士は初等中等教育を日本語で受けたとも言う。)

さて、ネットでオベール氏は本当に英語が母語かどうかが話題になった。どうでもいいことであるのに、ネットで嘘つき(偽ガイジン)と責められたのである。その際、私は彼の母語が英語でないという積極的な理由は、彼の英語を見ただけでは判断できないとコメントした。今でも判断できない。それは、単にわからないから判断できないというのではない。

彼の英語は確かに私の英語に比べて出鱈目だ。出鱈目だから母語でないとは言えない。私は英語を母語とする学生のうんざりする出鱈目に日常接している。あまり酷いのには添削の赤を入れることもある。また、アメリカの大学院の講義中に、its と it's の区別もつかん奴は顔を洗って出直して来い、と教室でアメリカ人学生に怒鳴った先生を見たことがある。そして、かの先生は、「日本や韓国からの留学生なら絶対間違わない。お前ら(アメリカ人学生)馬鹿か」とまで言った。

彼が最後にネットに公開した英文を見た。笑った。まさしくネイティヴ英語人によるへたくそ英語だ。メリハリがなく、掛かり具合もおぼつかない。ネイティヴが口から出任せのだらだら言葉を文字にしていけばそうなる。逆に、日本人なら、首尾がそろった英語のはずだ。つまり、パウロだよ、オベール氏は。おしゃべりパウロがおしゃべりガメ君。

で、彼の最後の英文について、出来のいいほうの女子学生3人による面白い評価もあったのだが、そこまで書くとガメ君に悪いから書かない。でも、ここまで書いたら、書いたも同じだろうか。いやいや、私は彼を弁護しているつもりなんだよ。彼の日本語にも品はない。間違いだらけ。ブログの変な日本語を参考にするからなんだ。しかし、議論は面白い。パウロの文章はわかりにくい。しかし、なんとなく説得されてしまう。ガメ君の文章はだらだらと長すぎる。だけど面白い。それでいいんだよね。

ガメ君、だから、あなたは英語なんかで書いちゃ駄目よ。日本語専門でまた出ておいで。みんな待ってるから。猿男さんは怖くないよ。引っかくわけじゃないんだから。猿男さん、大人の目で見てやってください。お願いします。