Comments by Dr Marks

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イスカリオテのユダの「イスカリオテ」の意味論争に一席、いや一石:ジョーンおばはんの論文、The Name “Iskarioth” (Iscariot)


もうそんなんどうだっていいじゃん。確かに、例のアーマンとも言われるイーアマン(Bart D. Ehrman)なんかも、「ちゃんとした学者なら、そんなん誰もわかりませんわ、ということを知っている」なんて茶化している。ああ、それなのにそれなのに。

どうも昨日の話題は極めて高尚過ぎて評判がよくない。死海文書やヨセフスの著作から、人間なくてはならぬものを紹介したつもりが、やれ品がない、それでも宗教学者か云々であります。もうこうなったらやけのやんぱち、有名なイギリスの新約学者と同姓のイギリス人女性学者だからひょっとしたら縁戚と思って読んだものでも紹介する。

しかし、はっきり言って(率直に告白して)わからん。わかるためには、ものすごくたくさんの言語が理解できないと無理。それでも概略は為になると思うので紹介するのだ。ああ、このサービス(サーヴィス)精神。ブログ連続312日目になったよ。やめるやめるといって今日までやめぬ、やめぬつもりが明日やめる・・・となるかもしれないが。

えーと、本題。ところであんたの教会の説教者はイスカリオテの意味をどう言ってんのよ。可能な意味はいろいろあるんだ。次に、イスカリオテという通り名の代表的な五つの説をまとめておく。それは、ジョーン・テイラー(Joan E.Taylor)という学者の標題の論文に記されているから、 Journal of Biblical Literature 129:2 (Summer 2010) pp. 367-383 に掲載された順に紹介する。(この人も別名での業績がある。顔だけど、灰色の目が怖い。)

1)「カリオトから来た男」 ヘブル語とみて、イーシュ・カリオートゥすなわちカリオトから来た男となるが、カリオトという町なのか村なのかそれはわからない。しかし、古くはエウセビウスが紹介した説で、二十世紀初頭にユリウス・ヴェルハオゼン(Julius Wellhausen)なども支持しており、最有力説の一つだ。

2)「匕首(あいくち)の強盗または暗殺者」 ヘブル語・アラム語のラテン訛り。シカリウスという言葉から。シカは短刀・匕首。つまりゼーロータイ(熱狂的愛国者)の一味というわけだ。この説の代表者は、オスカー・クルマン(Oscar Cullmann)。

3)「嘘つき男」 アラム語・ヘブル語のシュカール(嘘)からイーシュ・シュカリームすなわち嘘つき男となる。まあ、イエスに嘘ついたっちゅうわけですがな。代表的な学者はエルンスト・ヴィルヘルム・ヘングストゥンバーク(Ernst Wilhelm Hengstenberg)。これには異論が多いね。

4)「赤い男」 アラム語のスカールすなわち赤い色、赤い頭、その他ともかく「赤」。アラビア語サッカーラでも意味は同じ。ハラルド・イングホルト(Harald Ingholt)、アルバート・イーアマン(Albert Ehrman)、ヨエル・アーベイトマン(Yoel Arbeitman)。日焼けしていた肌の色も赤かもしれないが、彼の死の記述をみれば、血に染まったのも赤だな。

5)「配達男」 アラム語のスカールまたはスガールすなわち配達するから。ユダはイエスを当局に引き渡した(配達した)。ジェー・アルフレッド・モーリン(J.-Alfred Morin)の説。古くはパレスチナにも住んだオリゲネスもこの説を伝えている。

〔結論〕 以上だが、ジョーンおばはんの結論は、古くて新しい解釈として、上記の五つの解釈に加えたものとなった。パピアスにも言及し、またジョン・ライトフッド(John Lightfoot)のオリゲネス解釈を踏まえて、アラム語のスカールがピエル動詞でなくカル動詞とすれば、「縊死(いし、首吊り・窒息死)に関連した意味」であるとする。

〔評価〕 新約聖書では弟子たちのアラム語のあだ名がギリシア語に訳されているのに、このユダに与えられたイスカリオテは訳されていない。当時は訳すほどのこともないほど明らかであったのだろうが、そのうち意味がわからなくなってしまった。すべての可能性を彼女自身が検討しての結論だが、以上の諸言語の他にシリア語、ギリシア語、ラテン語、その他の語学の知識を駆使しているので浅学の余には是非を判断することはできない。だけんど、これは論文というよりは、授業用に自分で調べていたらこんなんなったのでまとめてみたという程度かも。(しかし、為にはなった。)

〔お薦め〕 まあ、いろいろあるということだ。この機会に福音書のユダの記事を読んでみるのも一興。ああそうだ、福音書の他に使徒行伝1章の17節以下も読んでみればいい。