Comments by Dr Marks

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Agraphon のHoax(悪ふざけ)とは何か? 最近のグッドエイカー先生の Podcast講義(音声ブログ)から。 ほう、日本時間13日の金曜日にふさわしいなー。


新進の(といってももう44歳だが)新約学者マーク・グッドエイカー先生のことを知らなければ新約学界のもぐり。英国は中部の田舎レスターシャーで生まれ、オックスフォード出身だが、今はアメリカのデューク大学教授。両親がたわいないテレビ番組を愛するような家庭の出であり、本人も週末のビールとテレビ大好き男の庶民。人前に出るのは結構好きで、早くからネットで情報を一般にも提供し、しばしば BBC テレビにも出演している。

彼のサイトは Mark Goodacre で検索すればいくらでも出てくるが、その中に彼の “NT Pod” という音声サイトがあって、今までに40回の講義があり、その40回目が “Teeth will be provided: the joke, the hoax, the story”(http://bit.ly/aQOjA7)というお話だった。この話自体は、バート・イーアマンの『失われた諸々のキリスト教(Lost Christianities)』という本の中でも紹介されているため、我々の間ではめずらしいものではない。しかし、かつての英米で流行の話であったことは知らなかった。

Podcast は、まさにグッドエイカー先生のご両親もお気に入りだったアイルランド出身のコメディアン Dave Allen(デイヴ・アレン、1936−2005)の声で幕が開く。天地が滅びるときに・・・泣きわめいて歯ぎしりするだろう(マタイ伝24:35、51)。ここで実際のマタイ伝の24章は終わる。しかし、その後にへその曲がった弟子が、歯のない人はどうして歯ぎしりするのですかと聞いたので、イエスが「この不信心者、心配することはない。歯のない者には、歯は与えられるだろう(the teeth will be provided)」と言ったというのだ。

もちろん、そんな話があるということは聖書学者は知らなかった。ところが、プリンストン大学の古典学の教授でポール・コールマン=ノートン(Paul Coleman-Norton)という人が、第二次世界大戦中のモロッコで、アラビア語の書類の中から、この話を書きとめた1枚のギリシア語本文を発見し、カメラがなかったが手書きで写し取ってきたというのだ。そして、戦後 Catholic Biblical Quarterly という専門誌に論文として発表してしまったのだ。しかし、すぐに嘘であることがばれた。だって、コールマン=ノートンは1930年代にイーアマンの先生である聖書学者ブルース・メッツガーの古典語の先生で、その頃も同じような冗談をコールマン=ノートンが教室で語っていたことをメッツガーたちが知っていたからだ。

おお、そうそう、Agraphon が何か訳してもいなかったし説明もしていない。しかし、グッドエイカーが説明したとおりだ。このギリシア語の意味は「書かれていない」ということだが、具体的には「書かれていないイエスの言葉」ということであり、更に詳しくというか狭い意味では「正典の四福音書に書かれていないイエスの言葉」という意味である。これは単数形であり、普通は複数形で “agrapha” として使われるテクニカル・ターム(術語、専門用語)である。

アグラファというのはたくさんある。正典外の福音書にしかない言葉もそうだし、教父の本に出てくるものとか、インドから出たアラビア語のアグラファもある。一応、アグラファに関して大学院生が最初に読む本はヨアヒム・イェレミアス(Joachim Jeremias)の “Unbekannte Jesusworte” (知られざるイエスの言葉、1948年初版)という薄い本だが、第3版に基づいた英語訳 “Unknown Sayings of Jesus” もある。

前田護郎(1915−1980)の研究などは、まさに世界的レベルでのアグラファの研究であり、戦後はアグラファを研究しなければ真のイエスに近づけないとばかり外典研究が日本の聖書学者の主流になったこともあるようだが(近年も外典研究で学位を狙う日本からの留学生はいる)、やはり正典を十分に研究してからのほうがよさそうだ。(前田護郎については余の本家のブログが検索されるようだな。http://bit.ly/aPqdpV

イェレミアスも言っているが、ほとんどのアグラファは、四福音書の敷衍か解釈のし直しであり、従って「時代も下ったくだらないもの」ばかり(また寒い冗談ですまん)である。果ては、この Podcast の話のような悪ふざけもあるわけだが、悪ふざけは現代だけとは限らないのだ。外典の多くは悪ふざけの先駆けであろう。だから、イエズス会士の聖書学者ジョン・マイヤー兄貴が言うように、昔の人が注意深く四福音書だけを残したことは伊達や酔狂ではないのだよ、諸君。

写真は新しいカメラで撮った我が家のブーゲンビリア。南方とか終戦とか思い出す人もいるかもしれない。