Comments by Dr Marks

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他人のブログにおんぶさりブログ(楽珍、楽珍)「パウロの倫理観は殊更にキリスト教的であるか?」→答:「然り」(グッドエイカー説)

グッドエイカー先生が今しがた NT Pod No.43 をオンしたので、それを利用させてもらう。さて、今晩はどうしようかとしていたところなので楽珍楽珍というわけだ。→http://podacre.blogspot.com/2010/11/nt-pod-43-were-pauls-ethics.html

確かに、パウロ先生の言ってる倫理観・人生観は特殊なわけねーじゃん、キリスト教というよりユダヤ教だろう、という声は高い。なるほど、Love Command と呼ばれる隣人愛などはキリスト教だけではない。律法の真髄としてイエスも推奨したが、ユダヤ教徒のための重要な教えである。(ロマ書13−15章など)

しかし、(1)再臨と終末の期待の中で生きる Eschatological Motivation や(2)イエスにならって生きる Be Like Jesus、(3)神の栄光のための良心に従って生きる Edification、また(4)キリストとの不思議な合一の中で清く生きる Mystical Union with Christ ことは、殊更にキリスト教的な倫理観である。いや、むしろ、パウロのこのような強調点が、後代のキリスト教倫理の体系の一部となっていったと言える。

(1)は、何ものにも拘泥することなく、大胆不敵に生きる動機であるし、(2)は福音書に具体的に示されたイエスの生き方であるし、(3)は良心その他の基準の礎が神の栄光をあらわすためと規定されたし、(4)キリストとの合一の反対である穢れたものとの合体は戒められなければならない。(苦界の女性は助けるべきで買うなんて言語道断。)

彼が挙げた要となるパウロ書簡は、話題の順に、第一コリント6:10−11、第一テサロニケ4:2−5、第一コリント7:25−26、第一テサロニケ3:13、第一コリント10:23−24、ロマ書14:19、第一テサロニケ1:6、第一コリント11:1、第一コリント13、ロマ書13:9−10、ガラテア書5:13−14、第一コリント6:15−26、ロマ書6:3、12.

まあ、聖書をいちいち開くのは面倒くさい人も、開かなくても中味が思い出せる人も、グッドエイカー先生の聖書引用の慎重さに気づいただろうか。そう、いずれも「パウロの真筆」として学者の多くが認めている書簡だけだよ。藝が細かいな。(気づく余も余だが、当たり前か。)