Comments by Dr Marks

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No. 30.

コメントにならないコメント−45(ヴァメーシュの『イエスの復活』「新約聖書における復活概念の意味あるいは意義」中編)

ヴァメーシュによる二つ目の神学的議論に入る。更に、エスの復活に関する聖書の記述についてのコメントで本日は終わりとする。

この長かったヴァメーシュの新作の紹介は今回と次回、更にもう一回の最終回でめでたく(←何がめでたいかは知らんが)終わる予定である。最終回で寸評とこの著作の評価をABCDFで採点しようと思う。一応、大学院レベルということで、合格点はABまで。C以下なら不合格であり、出版しなくてもよかった駄作となる。

C以下の可能性があるのかって? まあ、そうならばここまで詳しくは紹介はしなかったろうから、合格点は上げられる。しかし、あまりすぐれた著作ではないと思える。それなのにどうして取り上げたって? やはり、史的イエス研究の異端的領域である復活を専門としてきた者としては、少しでもこの「復活」に関して知ってもらいたかったからである。ホント、これは真面目に言っている。

エスの弟子たちと、その他の人類の復活に関連したイエスの復活の神学的意義

福音書にあるイエスの教えの中では、復活が中心の教義であることはなかった(←陰の声だけど、ちょっと雑なヴァメーシュの結論なんだ)。パウロが初めてこの問題を取り上げたと言えるが、理論的というよりは実践的な問題からだった。

初期の再臨の期待においては、信者の間での終末論的な熱狂というのは、自分たち自身が、雲に乗って現れるイエスと共に神の国に入れるか否かが問題だった。つまり、パルーシア(再臨)は間近であり、自分たちの存命中に起こるものと考えていた。彼らの期待は、今ある地上の体が新しい霊の体に直接なることであるから、復活などは関心の埒外であった。

しかし、当然のことながら、その間にも先に死んでしまう人たちは出てくるわけで、その人たちは再臨のキリストに会う好機を逸することになる。パウロは、その日には死者がまず先に恩恵にあずかるから、心配するなと彼らを説得する。更に、イスラエルの伝統にない異邦人キリスト者に対しては、特別な天国行きの切符が準備された。死者のためのバプテスマ(洗礼)である。死者のために代理の洗礼を受けることで、イエス・キリストを知らずして死んだ縁者の復活を確かなものとした(第一コリント15:29)。

しかし、パウロは、福音に与らずに死んだ者たちの復活については、明言を避けていた。第一ペテロの著者が初めて、キリスト以前の死者、とくに義人ではなかった死者に対しても、救いの可能性があることを示唆するようになった。死者の復活は、ますますもって永遠の命に必要な前段階となったわけである。

しかし、聖書の記者によっては義人と悪人の取り扱いは異なっている。復活するのはあくまでも義人に限られ、悪人は相も変わらずシェオール(地獄)に閉じ込められたままであるか、いったんは肉の体でよみがえらされるも、結局、慈愛の神変じた厳格な審判者が、改めて永遠の地獄の責め苦を宣言するかのどちらかであることになる。

新約聖書は、イエスの復活の「事件」について具体的に何を語ったか

「イエスの復活」こそがこの本のテーマではあるが、新約聖書記者の誰もが、死んだイエスが現実に生き返った様(さま)については詳述しようとしなかったことを見てきた。書かれていることは、いずれも状況的証拠だけである。もし、このようなものでも証拠というなら、それらは次の2種に分類できるだろう。

(陰の声:以下に、「伝承」としたのは私 Dr. Marks であり、英語は tradition であるが、これは物語とか伝説とは異なる。簡単に言えば、核に歴史を包含した可能性のあるナラティヴ=narrative のこと。)

第一のものは、空墓伝承である。女たちがイエスの十字架の死から三日目に墓に行くと、墓は空であったというものだ。すべての福音書に、この記述はある。墓は間違いなくイエスのものであり、男たちもそのことは確認している。共観福音書(マルコ伝、マタイ伝、ルカ伝)は、墓にいた天使あるいは不思議な人物の説明を根拠に、空の墓がイエスの復活の印であると解釈している。しかし、第四福音書ヨハネ伝)においては、マグダラのマリアもペテロも、誰か第三者がイエスの死体に何か(神による復活を含め?)を施したと考えたようである。

第二のものは、出現伝承である。福音書の中では唯一、短い終結部のマルコ伝だけは復活のイエスが出現した記事を欠いているが、それ以外の福音書は出現伝承を含んでいる。しかし、この出現に居合わせた証人は、福音書によってさまざまに異なっている。人名の相違、証人の数の相違は、ほとんど法廷であれば役に立たないものであろう。このような矛盾撞着の例外はいずれにもマグダラのマリアが登場することと、ペテロという特別な教会の思惑を別とすれば、証人の筆頭が彼女であったことである。また、出現の時間や期間も一様ではない。

しかし、この出現も、その意味は明瞭なものではない。そもそも、一人として、復活のイエスに会った瞬間には、それがイエスとは認識できなかったのである。幽霊だとか見知らぬ人とか「園丁(庭師)」であるとさえ思われたのである。トマスは自分の手で復活のイエスの傷に触れないうちは信じないと断言したし、ガリラヤの山で出会った使徒の何人かは、本当のイエスであるとは信じなかった。

以上の空墓伝承と出現伝承は、今まで一緒に議論の対象となることはなかった。(陰の声:まったくないということはない。むしろ、どちらを議論するにしろ、双方の紹介は必ずなされる。しかし、どちらかが議論の中心になっていたことは確かであり、空墓を中心に据えた Dr. Marks のような研究は稀である。)例えば、近代の福音書研究者は、空墓「物語(saga)」であり、ブルトマン(R. Bultmann)が言うように「護教的伝説(an apologetic legend)」であると理解した。そして、彼らは、出現の証言に至る単なる道ぞなえであると主張した。(陰の声:しかし、Dr. Marks が明らかにしたようにブルトマンに至る嚆矢はJulius Wellhausen の1902年の論文であろう。)

ところが近年は、こういった近代主義の聖書学者の判断に強い疑問が呈されている。ブルトマンらの理論は、まさに聖書記述の最ももろいと思われた部分から、逆に崩されることとなった。すでに見てきたように、ルカなどは特に激しく女たちの空の墓の報告を嘲笑している。また、各福音書記者たちも、一定しない証人だった女たちの特定に苦慮している(陰の声:例えば、Raymond E. Brown, The Death of the Messiah, New York: Doubleday, 1994を見よ、特に44章)。

そもそも、女は証人の資格はなかったのである。福音書記者が(特にマルコが)空墓伝承を記録したときには、辻褄合せの誰にでも間違いのない(foolproof)筋書きにして、証人として申し分のない人物を登場させる余裕もなかったことが推測される。そうだ、空墓伝承というのは、極めて古い歴史的核をにおわせる記事だったのだよ。

(陰の声:近年は、Dr. Marksを含めてこの立場が有力になっているが、先に述べたイギリスの Richard Bauckham スウェーデンBirger Gerhardsson は特筆できる。しかし、これらの大物ではなく、ほとんど無名なカトリック学者でローマで学んだ Edward Lynn Bode 先生を忘れてはならない。彼の唯一の著書が学位論文の The First Easter Morning, Rome: Biblical Institute Press, 1970。ボード先生が無名といっても、我々の間では有名なこの論文をヴァメーシュは挙げていない。駄目だな。更に、空墓に関してはまったく無知で馬鹿な学者ではあるが、一応本人も復活の専門家と自認しているイエズス会Gerald O’Collins 先生についても言及していない。かわいそう。いったい、ヴァメーシュじいさんて、何勉強したの?)

しかし、空墓にしろ出現にしろ、どのような状況証拠をもってきても、私(ヴァメーシュ)は、イエスの復活をもって未信者を説得できたとは思わない。このような状況証拠は、既に信仰を持った者にしか通用しないはずである。どの証拠も、法廷での最低の科学的証拠基準も満たしてはいない。歴史家が努力しているようではあるが、推測の域を出てはいないだろう。たとえ、その方法が現代的な手順を備えたものであってもである。これは、偽りのない、私(ヴァメーシュ)の感想である。