Comments by Dr Marks

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イエスの話した言語(母語と学習言語または外国語):状況証拠のみだが(その1)

 
エスが何語を話したなどというのは、古代の同時代人にとっては関心のないことであった。彼の使用した言語に関連する「学歴・履歴書」のようなものはない。

しかし、昔から、彼はアラム語母語とし、議論や礼拝に必要なヘブル語を解し、更に基本的なギリシア語の会話能力があったとされ、今日でもそれが妥当であると判断する聖書学者が多数派である。それでは、何故そのように判断されるのか、新約聖書学101コース程度のことを簡単にまとめてみよう。

まずイエス母語アラム語であるという証拠だが、その前にアラム語が何か知っておく必要があるだろう。現在、アラム語ということで括られる言語は、もともとセム語の一つであり、ヘブル語(ヘブライ語)やアラブ語(アラビア語)の仲間である。

アラム語のアラムというのは現在のシリアに属する地名であるが、ギリシア語が国際語(リンガ・フランカ)となる前の紀元前700から紀元前300年までは、アラムすなわち中東を中心にして北アフリカからインドに至るまで最も広範囲に流通する言語だった。この時期のアラム語を専門家は帝国アラム語(Imperial Aramaic)と呼んでいるが、それはアケメネス朝ペルシアに因んでいる。

ただし、時代や地方によるその変種(方言)も多様であり、現在のロマンス語であるフランス語、イタリア語、スペイン語ほどの差異が生じた。従って、お互いに意思を通じ合えるかどうかは疑問となるほどであり、また表記する文字のシステムも多様であった。

さて、アレクサンダー大王の後、同じ地域が次第にギリシア語を国際語としたとはいっても、支配者層や商業などで已むを得ない人々に徐々に広まっただけであり、イエスの時代も全体としてはアラム語のほうが庶民の言葉であり、とくにパレスチナではセレウコス朝(紀元前312年 - 紀元前63年)の存在にも関わらず、庶民もギリシア語というのはアンティオキア市などに限られ、アラム語が依然として主流であった。

従って、ディアスポラとして小アジアギリシア語の都市に育ったパウロなどとは異なり、ガリラヤ育ちのイエスアラム語母語としていただろうということになるが、新約聖書中の彼の口から直接出た言葉にアラム語らしき表現が散見することも証拠となっている。

その傾向は、最も古い福音書マルコ伝に著しい。例えば、「タリタ、クム(写本によっては女性への命令形のタリタ、クミ)」(5章41節)、や「エッファタ」(7章34節)、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(15章34節)などである。最後の例などは、マタイ伝27章46節においては、より詩篇のヘブル語に近い形で引用されているが、マルコ伝では判然としたアラム語である。

ということは、逆から言えば、当時のイエスが使ったパレスチナアラム語(Jewish Aramaic)は、書字も単語も文法もヘブル語にかなり近いものだった。また、そうでありながら、ガリラヤとエルサレムでは異なったアラム語であったようだが、意思の疎通に困難さは認められないようだ。新約聖書もそのことを裏書している(マタイ伝26章73節)。

聖書(いわゆる旧約聖書)は、ヘブル語原文から『七十人訳』のようなギリシア語に訳された物ばかりではなく、アラム語にも訳された。これを狭義の『タルグム』というが、さてイエスは、上記のごとくであれば、アラム語訳すなわち『タルグム』で読んでいたのであろうか。じゃあ、ヘブル語は? ギリシア語は? 

しかし、思ったより長くなったので、この続きはまたの機会としよう。なお、YouTubeで紹介したアラム語は、イエスが使ったアラム語ではないだろう。シリアのキリスト教会などで現在も使われているアラム語であり、厳密にはシリア語(Syrian Aramaic)である。このようなアラム語を含め、現在も広い意味でのアラム語を話せるのは40万人程度らしい。

一番多いのは離散のキリスト教アッシリア人である。しかし、余の友人であるアッシリア人は、アメリカに渡って4代目なのでまったく話せない。また、ユダヤ人も半世紀前まではアラム語話者が多かったのだが、廃れたイーディッシュ語と同じで、政府のヘブル語奨励策によって、ほとんど消滅した。

ほんでね〜、いきなり調子が変わるけどさ、余はアラム語は勉強しなかったのよ。新約学でも旧約学でも古典アラム語(Classical Aramaic)はたいてい博士課程では履修しておくんだが、余は、ほらっ、もぐり新約学者だから履修してないの。余の専攻は理論神学で、新約学と古代史の境界領域だったから、たまたま副指導教官が新約学者だっただけなのよね。だ〜ら、アラム語なんてわかんないの。ごめんね。

おまけとしてイエスの使った Jewish Aramaic の YouTubeも見つけたので紹介しておく。文字もヘブル文字であることに注意。これはなかなかよいヨウツベだよ。余はお気に入りに入れちゃった。