Comments by Dr Marks

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復活に関する、またネガティヴな本の紹介になってしまうが

Resurrection in Mark's Literary-Historical Perspective (Library of New Testament Studies)

Resurrection in Mark's Literary-Historical Perspective (Library of New Testament Studies)

余の本と同じくらい出版社の名のせいで日本に入っているようだが、もう一つはタイトルのせいだな。書評の数は余の本より少ない。

このタイトルから、すぐわかる人と(変?と思う人と)あこがれてしまう人(うわーかっこいいと誤解する人)の両者が出てくる。Literary-Historical Perspective(文学的・歴史的視点)ということ自体がまゆつばが多いのではあるが、これ自体を全面的に否定することはできない。物事の理解に有効な方法であることもある。

では何が問題か。この題では、マルコ伝の著者が(ヨハネ・マルコであろうがなかろうが)文学的・歴史的視点を持っていたということになってしまう。では、そのような理解が余の誤読であろうかと、内容を吟味すれば、果たして著者は余の理解したような「マルコ伝の著者の文学的・歴史的視点」を論じているのである。そんなアフォな。古代意識を無視した現代人の誤読じゃ。(後で見たのだが、フェミ・パーキンズおばさんが RBL の書評で同じようなことを言っていた。)

この著作は一種のサンフランシスコ地域の連合大学院である Graduate Theological Union, Berkeley への学位論文であるが、議論自体が破綻しているのによく通ったと感心する。もっとも、議論の細部に専念した努力賞ということなら、ある程度の学識はあるのだろうと納得するが、これだから連合大学院などという代物は信用できん。

内容は3部に分かれている、第一部で「復活」とは何かが古代の諸例から帰納される。第二部では古代の(主としてヘレニズム世界のフィクション)文学作品等から「復活」の主題を探して検討する。第三部でマルコ伝の著者が、このような古代世界の文学的環境の中で(それに影響されて)書いたとこじつける。

基本的な福音書の「復活」理解として、以上の古代世界においても特異であることが学問的な常識である。もちろん「常識」にチャレンジすることが博士レヴェルの学問であるからかまわない。しかし、そのことに対する検討が弱く、「復活博士」として有名なジェラルド・オッコーリンズ(Gerald O’Collins)やフェミおばさん(Pheme Parkins)は言わずもがな、レイモンド・ブラウン(Raymond E. Brown)の著作に至っては『新約概論』なんか(学部学生みたいに)引用していても肝心な『メシアの死』という大事な大著に触れていない。

また、マルコ伝を論じながらマルコ伝の基本的な議論がないため(重要な著作に触れていない)、低級な比較宗教学の本の様相を帯びている。初め著者はクレアモントのマクドナルド流の雰囲気なのでクレアモントの馬鹿学生かと思ったが、南加大を出たあと余の学校で牧師の資格を取り(現在、東部の大学のチャプレン)連合大学院に進学したようだ。(クレアモントや余の学校には進学できなかったのだろうか。)

あっ、値段だけど。1万3千円くらい。どうせ個人で買う人は少ないだろうが日本の図書館に入ってるからねえ。余は「復活」本ならいくら高くても買うが、こんなのは買わない。図書館で斜め読みで終り。