Comments by Dr Marks

出典を「Comments by Dr Marks」と表示する限り自由に引用できます

エルサレムの「西の壁」にあるもう一つの壁について(ない時代だってあったんだよ)

西の壁(Western Wall)の広場にはもう一つ壁がある。それは男女を分けるスクリーンだ。壁に向かって左が男の祈祷所で右が女の祈祷所になる。だから、もしも子供のバルミツバ(13歳で大人になる儀式、女の子はバトミツバ)を西の壁で祝うなら、父ちゃん母ちゃんは同席できない。しかし、現状からいえば、スクリーンの側で行う限りお互いの姿も見えるし話もできるし手を握り合うことだって可能だ。

しかし、どうもよくわからないのだが、このスクリーンができたのは20世紀になってからのことのようだ。余が所有する写真の中で少なくとも1908年には男女一緒であった。いつできたのか、余は今のところわからない。しかし、はっきりしていることがある。1928年に、当時パレスチナを支配していた英国が、この男女を分けるスクリーンを取り壊そうとしたところ、女たちが騒いで英国官憲との間に争いが起こった。

ということは、私が所有する資料では1908年と1928年の間にスクリーンが登場したらしい。この頃から東欧の正統派が帰還した影響によるのだろう。原則、正統派ユダヤ教の国家である現在のイスラエル政府は建国後は正統派のユダヤ教徒しか西の壁に近寄れなかったが、その後はそのような制限をしていない。また、現在はユダヤ教徒でなくても近寄ることはできるが、男性はキッパ(ヤマカ)または帽子をかぶること、女性はスカーフなどのかぶりものをしていないと引き止められる。年齢による制限はない。

また、厳密な正統派は壁の前で靴を脱いだが、今ではそのようにする人は少ない。西の壁に関しては日本語ウィキペディアでも簡単な説明があるが、項目は「嘆きの壁」となっている(http://tinyurl.com/2ef5y6z)。なお、ユダヤ人やイスラエル政府は「西の壁」としか言わないからご注意を。もっとも詳しくよくまとまったウィキペディア記事は英語版の Western Wall である(http://en.wikipedia.org/wiki/Western_Wall)。この英語版にはグスターフ・バオエルンファイントの筆による19世紀の西の壁の様子が描かれている。拡大して細部も見ることができる。男女が一緒だろう(http://en.wikipedia.org/wiki/File:Wailing_Wall_by_Gustav_Bauernfeind.png)。