Comments by Dr Marks

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ジミー・カーターのイラン革命対策より劣悪なバラック・オバマのエジプト騒動介入(カーターはパーレビ国王とイランを殺し、オバマはムバラク大統領とエジプトを殺すだろう)

今回のオバマの介入で、欧米知識人は誰もが1979年のカーター大統領のイラン革命に対する無策を想起したに違いない。我が畏友大亀君もTwitterで盛んに馬鹿カーターそっくりの馬鹿オバマと罵っていた(@gamayauber )。カーターはパーレビ国王とイランを見殺しにした(アメリカに亡命した国王を追い出して殺した)。オバマはエジプト大統領を首都から追い出しエジプトが死にそうなのもわからない(ムバラクは現在意識不明)。

今日自宅に届いていた宅配の Newsweek(2月21日号)のトップはニオル・ファーガスン(Niall Furgason)の書いた「いかにオバマがエジプトを台無しにしたか(Egypt: How Obama Blew It)」だった。書き出しはおよそ150年前のプロシャの宰相ビスマルクの「政治家はじっと待ち構え、時が来たら、すかさず波に乗じる(原文は神の衣の裾を掴む)」という言葉である。以下は、ほとんどがファーガスンの受け売りで申し訳ないが、同感なのでブログってみる。

余はそこまで飛躍することはできないが、確かにファーガスンの述べる如く、ビスマルクは当時のヨーロッパの情勢の中で正確にアフリカの動きを捉えていたのであろう。しかるに愚民民主主義ボケのカーターは、イランを見て中東全体の情勢を捉えることができなかった結果が、我々の知る現在のイランの状況である。ましてや、世界情勢やアメリカの未来など想像不可能であったはずである。

2009年の6月に、大統領になりたてで浮かれていたオバマは、カイロでこんな演説をした。「アメリカとイスラムは、互いに排他的でもなく、競合する必要もない。むしろ、両者はオーヴァーラップし、共通の原理を分かち合っている。すなわち、正義と進歩の原理、寛容と全人類の尊厳である。」

まあ、なんと能天気。エジプト最大野党のムスリム兄弟団は、カリフ制政治の復興を目指しイスラム法(シャリア)による社会生活全般の規範とする予定なのに! 何が「寛容と全人類の尊厳」なもんか、アフォ。

そもそもイスラムの二人の父(実父と養父)を持ちイスラムの国に暮らしているからといってイスラムがわかるわけでもない。普通は、大統領になるまでには世界情勢や外交についても学ぶわけであるが、彼にはその素養が欠けていた。欠けているなら欠けているなりに側近・スタッフが展望を持たなければならないのに、民主党の悪しき伝統で、それさえない。

さあ、ますますイランが中東で発言権を持つぞ、中国が経済で圧力をかけてくるぞ、ロシアは再び東ヨーロッパから樺太までの覇権を主張しだした。オバマにはそれがどんな危険な眺望なのか、やってることがアフォすぎて皆目検討がつかん。だいたい、1906年共和党セオドア・ローズヴェルト以外でノーベル平和賞なんかもらうアメリカ合衆国大統領(カーターとオバマ)はあかんねん。ひょっとしてカーターみたいにオバマも再選は無理かな。