Comments by Dr Marks

出典を「Comments by Dr Marks」と表示する限り自由に引用できます

 第2章

アイザック・シンガー原作『チビの靴屋たち』 (もう一つのギンペル物語)

第2章 アッバと彼の七人の息子たち

ギンペルが長子なので、父親の跡目を継ぐものと定められていたから、父の彼への関心は格別であった。最良のヘブル語の先生につき、更に、イーディシュ語、ポーランド語、ロシア語、算数の初歩が教えられる家庭教師も雇った。アッバ自身もギンペルを地下室に連れて行って、革なめし液に加える薬品やさまざまな樹皮の調合をやってみせた。

彼は息子に、ほとんどの場合右足のほうが左足より大きいこととか、靴に問題があるのは通常親指が原因であるとか、実地に教えた。その上で、靴底や内底の裁断法、つま先が短いのと尖っているもの、ハイヒールとローヒールの基本、また偏平足、外反母趾、ハンマートゥ、魚の目のお客様に対する調整法についても学ばせた。

金曜日は、いつも納め仕事が混むので、大きい息子たちは朝の十時に学校を出て、父親の店を手伝うのが常だった。ペシャは、ハラーパンを焼き彼らの昼食の用意をした。彼女は最初のかたまりの熱いのをオーブンからつまみ出すと、ふうふうと息で冷ましながら右手から左手、左手から右手へと移して、アッバに見せに持って行く。彼がよろしいとうなずくまで、前面と背面を見せながら、そのパンを持ち上げたままでいた。

それから彼女は、ひしゃくを持って夫の許に再び現れ魚のスープの味見をしてもらうか、焼き立てのケーキのかけらを持ってきて味を試してくれと頼むのだった。ペシャは夫の判断がすぐれているのを知っていた。彼女自身や子供の服を作るときも、端切れの見本を家に持ってきて彼に選んでもらった。肉屋にゆくときさえ、胸肉か肩肉か、背肉か腹肉か、何を買ってくればいいのか、夫の意見を求めた。

彼女が夫に相談するのは、夫を恐れているとか、彼女自身の考えが何もないからではなく、ただ単に経験から、彼女が聞きたいことは夫がいつでも知っているのだということを学んだからである。彼女が、これは夫が間違っていると確信したときでさえ、結局、夫のほうが正しいことが判明した。

夫は彼女を脅すようなことは決してなかった。しかし、彼の視線が走るだけで、妻は自分のほうが愚かであったと悟るのもしばしばだった。この無言の視線は、子供たちの躾けにおいても同様だった。躾けの鞭革が壁に掛けてはあったが、それを使うことは稀だった。彼のやり方は、優しく戒めるものであった。

よそ者でさえ彼を尊敬した。商人たちは、彼には格安の値段で革を売ったし、掛けで買いたいと言われれば断ることはなかった。彼の客も彼を信頼し、代金を払うときに文句を言う者はいなかった。

仕立て業組合のシナゴーグで律法を読む際は、いつも六番目という名誉ある順位に指名されたし、献金を約束したり割り振られた場合は、決して催促されるようなことはしなかった。忘れることなく、安息日の後にすぐさま完納したからである。彼は単なる靴屋であってそれ以外の何者でもなかったが、町はすぐに彼の人徳を認めた。むしろ本当のことを言えば、彼は無知なる者の範疇にあるのだが、町の者は偉い人に接するようにして遇した。

ギンペルが十三歳になってから、アッバは少年の腰をあら布で包み、仕事場のイスに座らせた。ギンペルの後に、ゲッツェル、トレイテル、ゴデル、フェイベルが続いて見習いになった。彼らは自分の息子であり自分の稼ぎで育てている親掛かりの子供たちではあったが、全員に給料を支払った。下のほうの息子たち、リッペとハナニアは、まだ初等のユダヤ人学校に通っていたが、釘打ち作業中に釘を支える道具を持つ手助けは彼らでもできた。

アッバとペシャは、子供たちが自慢だった。朝になると、六人の仕事人が隊を組んで朝食のために台所に入り、六人が然るべき祝祷で手を洗い、六つの口が炒った穀物や雑穀入りのパンを噛んでいる。

アッバは、両膝のそれぞれに二人の下の息子たちを乗せるのがお気に入りで、彼らにフランポールの古い歌を歌って聞かせた。この歌でイーディッシュ語のアルファベットを覚えることができた。登場する子供の名がアレフベイズ、ギムル、・・・、の順となっているからだ。

母がいて、
十人の男の子がいた。
おお、主よ、十人の男の子です!

初めの子がアブレメレで、
二番目がべレレ、
三番目がギンペルといって、
四番目がドビドルで、
五番目がヘルシェレといって、
・・・

そこで男の子たちみんながコーラスに加わると、

おお、主よ、ヘルシェレ!

見習いを抱えた今、アッバはより一層の仕事をこなし、収入も増えた。フランポールでの生活の掛かりは安いものだったし、農民たちがたびたび、穀物一枡、バター一巻き、ポテト一袋、蜂蜜一ビン、ニワトリ一羽、ガチョウ一羽というように付け届けしてくれるので、食費を倹約することができた。

一家の暮らし向きが更によくなったので、ペシャは家の改築の話をし始めた。昔の部屋なので皆狭く、天井も低かった。足元の床はしなって揺れた。壁のシックイははがれ、うじ虫のようなものがいろいろと材木部分をはっていた。靴屋の一家は、天井が頭の上に落ちてくるのではないかという恐れの中で始終生きていた。猫を飼っているにもかかわらずネズミが居つく始末だから、ペシャは、いっそこの廃墟のような家は取り壊して新しく大きな家を建て直すほうがいいと主張した。

アッバは、すぐには反対であると言わなかった。妻には、考えておこうと返事した。しかし、そうした後で、彼としては今のままにしておきたいとの考えを示した。第一、そんなことを計画して不幸を呼び寄せ、家が潰れてしまうのが怖かったし、第二に、人々の悪意のこもった目を気にしたのだ。彼らは歯ぎしりしながら、アッバの一家を相当にうらやんでいるのを彼は知っていた。第三には、懐かしの両親や祖父母の家であり、何代にもわたった家族みんなが住み生涯を送った家と分かれるのが辛かった。

もちろん、家中いたるところ割れたり反り返っていることは承知している。壁の塗がはげると、その下の別の色がのぞくようになっていたし、更にその塗がはげて、また別の色が出ているのである。壁は、一家の運命が皆記されたアルバムのようであった。屋根裏部屋は伝家のがらくた、すなわち、テーブルやらイスやら、靴修繕の作業台や足型、砥石にナイフ、古着、深鍋にフライパン、寝具や塩漬け用の板、更に揺りかごまで詰まっていた。

アッバは、暑い夏に屋根裏部屋に昇るのが好きだった。クモが大きな巣を張っていて、日光が部屋の破れ目から漏れ出ると、クモの糸に当たって虹色となった。部屋のなにもかもが厚い埃を被っていた。注意深く聞き耳を立てると、この世のものとは思えない言葉で会話する何か目には見えない生き物が、絶え間なく活動していて、彼らのささやき、つぶやき、また優しくかきむしる音が聞こえた。

彼にとって、家を見守る祖先たちの霊魂の存在は確かだった。同様に、彼は建物が立っている土地も愛していた。雑草は、人の頭の高さまで伸びていた。辺り一面、生い茂ったものがうっそうと毛深くトゲの多いもので満ちていた。その葉や枝が、歯や爪のようになって人の衣服に噛みつき絡みついた。ハエやカが空気中をぶんぶんうなり、地べたには虫やらヘビの類が這っていた。

アリは茂みに丘を築き上げ、野ネズミが穴を掘っていた。この荒地の真ん中に梨の木があり、毎年の仮庵の祭の頃に小さな実をつけるが、味も固さも木を噛むようであった。このジャングルの上を鳥やハチが飛び、大きな金色の腹をしたバッタも跳んだ。毒キノコは雨が降るたびに生えてきた。地面の手入れはされていないが、見えない手が土地の豊かさを保っていた。

アッバがここに立って夏の空を見上げるとき、ヨットや羊の群、箒やゾウの群の形をした雲の中に我を忘れて瞑想して、彼は神の臨在や摂理や慈悲を感じるのであった。実際に彼は、大地を足を載せる台にして、栄光の玉座にすわる全能なる神を見ていた。悪魔は征服され、天使は賛美歌を歌う。その中に人間の全ての行いが記された「記憶の書」が開かれている。

日没時に、時には、地獄の火の川を見ているような気がした。燃えさかる石炭から炎が舞い上がり、浜辺に押し寄せる大波のように火の波が起き上がるのである。じっと聞き耳を立てれば、罪人のくぐもった泣き声や悪魔たちのあざけるような笑い声が確かに聞こえた。

そう、アッバ・シュスターにとって、これで申し分がないのである。何も変わる必要はない。彼自身が与えられた生涯を全うし、この聖なる共同社会の人々に靴をはかせてフランポールのみならず周辺の地域に名声を馳せた先祖と共に埋葬される時までは、全てを長い年月あったままにしておきたい。