Comments by Dr Marks

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どうして人は死を予測できないのか−不従順な「死」のつけ


かつて、ヨブ記に記されたように、悪魔は神の僕だった。同じように、「死」も神の僕だった。「死」は、とても従順な僕であり、その頃なら、人々は死をある程度予測できた。若くて元気な者が、年老いて弱った者よりも早く死ぬことなどなかったからである。ところが今は、まったく予測できなくなってしまった。事の次第は次の通りである。

神は、ご自分の造られた世界には「生」が理想の状態で存続することを望んでおられた。人にしろ動物にしろ、新しい命が芽生えたら古い命は死して消え去ることを良しとせられた。そのためには管理人が必要なので、「死」という役人(神の役人だから天使)をその任に就かせた。

神は、この「死」の天使に命じられた。「よいか、命を新しくしていくために、年老いて弱くなった者の順に死なせるように」、と。「死」は従順であり、実に有能だった。この世を見渡し監視して、命を取り上げる順番を間違えることなく与えて、役割を誠実にこなしていた。

ある日、「死」がいつもの通り巡回していると、痩せ細りながらも、初孫を抱いてにこにこしている老婆を目にした。「死」は思った。「新しい命が誕生したようだな。そうであれば、あの弱りきった老婆は死なせたほうがいいだろう。」彼は老婆にそっと近寄った。なるべく動揺させないほうが好都合だからである。

ところが、「死」は老婆と目が合ってしまった。已むを得ず、彼は優しく手招きした。老婆は事を悟った。昔からの言い伝え通りの時期が来たと思ったのだ。しかし、躊躇しながらも、「死」に果敢にも弁明した。「あなたがどなた様かは存じています。しかし、今少し余裕を下さい。ほら、この通り私は赤子を抱いて生きている者としての務めを果たしているのです。役立たずではありません。」

「死」は、なるほどと思った。初孫を抱いた弱くか細い老婆の熱心さを見ているうちに、前例のないことではあったが、その場をそっと離れ、老婆を死に至らしめることを取り止めた。かわいそうでもあり、老婆の一途さに多少の感動もあったからである。

それから、そのことを考えながら歩いていると、神が「死」の前に立ち現れた。「死」は、今しがたのことを早速神に報告した。まだ、感動が続いていたからである。また、それを素直に神に伝えることで、神からの何らかの楽観的な指示が得られるのではないかと期待もしたからである。

神は、しばらく黙された後、次のようにおっしゃった。「お前は多分良いことをしたと思ってもいるし、多少その感動に酔ってもいる。しかし、私の命令に背いたことは確かである。お前は愚かなことをしたものだ。今後、二度とそのようなことをしでかさないように、お前の目をふさぐ。お前は今後、めくらとして今までの任にあたるように。」

たちまち「死」は目が見えなくなった。すると、再び神の声がした。「ああ、そうそう。お前は目が見えないので、手で何かに触ったりすがったりするのでなければ歩けないはずだ。そこで、お前が触った人は皆死ぬことにしよう。任務に励めよ。」

そう言って、神は立ち去られた。それから後、老いも若きも見境なく「死」が触る者が死ぬことになったので、人間はいつ死ぬのか、予想がまったくつかなくなってしまった。