Comments by Dr Marks

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中公新書だからではなかった猫猫先生の著作購入(訂正)

いやはや中公新書だからだろうなどと、失礼なことを言ってしまった。第一、この貧乏図書館は中公新書全部なんて買えず、あるのは300冊ほどだそうだ。そんなわけで、この本はちゃんと漱石研究の日本書」として購入され、他の漱石研究和書とともに書棚に納まっていた。しかし、写真を撮るには漱石全集を背景にしたほうがいいだろうと思って上のように携帯の写真機で撮った次第。拡大できないのでよく見えないが(←hatena のケチ)猫猫先生の『夏目漱石を江戸から読む』であることは、わかる人にはわかるだろう。

さて、猫猫本を読んだからといって、文芸評論家でもないのにいっぱしの批評をするつもりはない。先の記事(The Rest of the Comments)にも書いたように、何でもできるプロがいると思うのは、自分が何がしかのプロでない者に多い。とは言っても、先にどこかに書いたと思うが、私も物語の専門家であるなどと言ってしまった。ただし、文藝世界での story としての物語というよりは、ある分野(←今は言わない)の narrative(←名詞です、この場合)であり、伝承や歴史の核に関連する「物語」のことである。

それはともかく、私は自分の分野の本や論文を読むのが仕事であるから、仕事以外のものを読む場合は、無駄なもの面白くもないものはなるべく早く見切りをつける。そんなものを読むほど、人生がふんだんにあるわけではないからである。まず、目次を見て、当たりを付けたところと書き出し数ページを読む。この段階でたいてい読むか読まないかが決まるが、更に先まで読んだあとで放り投げるものもある。もちろん、専門書はこの限りではない。つまらんと思っても、何らかの重要な情報がある場合は我慢してノートをとる。

この猫猫先生の本ももしそうなら、すぐ書架に戻してさよならとなるところだったが、読み出したら面白い。語調がいい。独自の見方らしいものが散見するのも興味があり、結局、写真を撮ってから漱石全集の1冊と一緒にこの「猫」を家に連れて帰ることにした。夕食が済み、今、ソファーの上で寝ている。これからこの「猫」と遊ぶ。再度言うが、書評はしない。感想は言うかもしれない。

ついでに:購入の経過はそんな訳なので、私が第一閲読者ではなかった。漱石研究の一環で購入したものだから、既に数人が読んでいるのがわかる。(そのうち半分くらいは日本からの留学生が楽しみに読んだかもしれない。)返却予定日の記録だけでは正しいデータとはならないが、私の前に借りた人は3年くらい前で、その間に借り出した人はいなかったかもしれない。(館内で読んだ記録はわかりえない。)それにしても、12年前の出版だ。学位論文をでかしてから、一気に書き上げたのだろうか。学位論文とは別で、自由なことが言えるから(それなりに大変ではあるが)書くのが楽しかったろう。

えーと、そんなわけで、結局これも the rest of the comments いやいや今回はそのものズバリ、the rest of the story, Dr. Marks ナンチャッテ、ねっ名無しさん。