Comments by Dr Marks

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メレヂス書簡

DrMarks2007-09-25

比較文学」とは、本来、「比較」するものではなく、影響関係を実証するものです。ウィキペディアの「比較文学」の項を私が編集しておいたので乞ご参照。なおチョムスキー流の言語学は、「比較」の上に原理を打ちたて、修正に修正を加えたもので、他の「比較」とは全然違います。あるいは大林太良の「銀河の道虹の架け橋」とか、堂々たる大著です。なお、比較文化論とか日本文化論とかいうのは、全部インチキだと言っても過言ではないですね。
「江戸から読む」の最もまともな学問的貢献は、漱石メレディス書簡を誤訳したのを指摘したところでしょうね。

猫猫先生コメントより


ウィキペディアの「比較文学を読みました。ありがとうございます。文学では影響関係を実証するということですね。人間そのものを追究する目的を忘れた実証性というのも疑似科学的で嫌ですが、実証性のまったくない文化論は社会のゴミですね。

メレディス書簡の少し前で昨夜は寝てしまったのですが、今朝、そこを読みました。原文が手許にないので比較できませんが(息子 William Maxse Meredith 編纂の2巻本は以外にかなり出回っており10ドル少しですが、C.L. Cline 編纂の Oxford 版3巻本は流石に90ドルくらいする)、私の印象では、小谷野先生の訳と漱石の大意を比較すると、基本的に同じなように感じました(159-60)。もし違うとすれば、漱石の大意を誤解してきた(つまり精神的愛が上等であるという誤解)従来の解釈と小谷野先生の解釈が違うという気がしました。すなわち、メレディス漱石=小谷野≠従来の解釈という図式です。小谷野先生のメレディスの読みに同意するのですが、漱石の誤訳という理解ではありません。

私は素人ですので、これ以上のことは言えません。しかし、強いユダヤキリスト教的環境にあり、多少イギリス国教会本流の人間観を知る者としては、日本の明治期の西洋観が、清教徒プロテスタンティズムに偏りすぎ、そこから大本のユダヤキリスト教に対する誤解が蔓延っている気がしてなりません。新約聖書に垣間見る男女の関係は実に豊かで、心も体も一方で躍らせることもあり他方で滅入らせることもあるダイナミックな営みです。おおっと、文学から離れすぎました。

追記:メレディスの手紙は、息子編纂の1912年版は3セットも大学にあり、キャンパスの外れの倉庫専用みたいな図書館に納まったまま。クラインの1970年版はいつもの研究図書館にある。買わなくてもいい。そのうちチェック。(クラインの3冊本が東京の古書店なら4万5千円だって、ぎょ!そんな値段で誰が買うの?)