Comments by Dr Marks

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猫猫先生の諸々の実力余談

小谷野先生の学位論文(審査の様子)や著作(1作だけだが)から、この先生の学問的な実力や洞察力の天分は疑問の余地がない。分野が違ってもそれくらいのことはわかるのだ。今日書くのはそのことではない。

私の本家のアクセス数が急に上がっている。言わずと知れたことで、『猫猫』で寝首を書(←誤植にあらず)かれたからだ。1年前の開設当初より固定的訪問者が確実に増えてはいたのだが、まったくの異変である。しかし、この本家のブログは、内容が内容だけにしばらくしたら元に戻るだろう。それは確実だ。ときどきハーヴァード神学校(Harvard Divinity School)のおちんちん好きの話もするが、ほとんど辛気臭いブログだからね。

そこで、猫猫先生ご自身というか先生のブログ『猫猫』の実力(ついでにhatenaの実力もあるか)についてだが、次のことがわかった。私の訪問する日本のブログで最大の訪問者数を誇るのは、神戸女学院大学内田樹氏による『内田樹の研究室』だと思っていた。偶然だが内田氏は、昨夜(米国西海岸時間)の彼の記事で1日1万件以上と明言している。ところが、猫猫先生の暴露の後、私の本家へのアクセス数は24時間で一挙にその7分の1に達した。『猫猫』にアクセスした人が皆、私の本家を訪れたわけではあるまい。毀誉褒貶含めて、これも猫猫先生の日本での実力の一つだろう。

今、毀誉褒貶と言ったが、私は友人から、小谷野という人がこんなひどいことを言っているから見てみろと薦められて『猫猫』をこの夏知ったのである。しかし、読んでみると意外にまともで面白い。やりすぎの感はあるが(←この点は自分も反省しなければならないが)、正鵠を得ていることのほうがはるかに多い。(だが、あのタバコはねー、まっ「喫煙のすすめ」でなくて「禁煙ファッショとの戦い」だからいいか。)しかも、阪大の件は、そのとおりなら、小谷野先生が気の毒になった。これはいじめだ。小谷野先生が天才かどうかは知らないが、よくこう言われる。天才学者は、秀才学者以上のレベルでなければ真価がわからない。と…、たとえ、それほど大層なことでなくても、彼の周囲にいた「サラリーマン学者連」の情けない態度はなんだ! しかし、小谷野先生の言うことに異議のある方もいよう。言ったらいい。(俺みたいに頭を使って言ってみろ、ナンチャッテ。しかし、小谷野先生の言うとおりなら、グーの音も出んわな。)

小谷野先生の英語の実力についてだが、これはわからん。ネットでいろいろ言っている人たちの資料に限定すれば、つまりそこで取り上げられている英文が猫猫先生の文章そのもので一字一句も違っていないと限定すればだが、「テニヲハの類では確かに間違いがある。しかし、それだけであるし、英語が第一言語でなければ「テニヲハ」の間違いもないと豪語する者がいれば、逆にとんだペテン師である。

研究に必要な学習言語は、会話を主とする各種の標準テストよりも Toefl の得点が今でも信用できると思っている。実際にいろいろな先生方に聞いても、英語の日常運用が下手な日本人学生でも、それなりの得点で入学しているなら、結局はよい成績をおさめるそうだ。それは何か。1)高速度で英文を大量に正確に読めること、2)標準の発音でなされる講義が聞き取れること(教授はたいてい標準の発音であり市場の英語ではない)、3)表現の豊かな英語を書けること、4)ゆっくりでもいい、少なくとも授業で授業内容について発言できること(授業の脱線内容やくだらない冗談に参加できなくてもかまわない←こんな英語だけはわかるという馬鹿留学生もいるんだよね)。

3番目の「表現の豊かな英語」とは何か。読んで字の如し。質量とも豊かな英語であって、「テニヲハ」の妙な正確さではない。書かれている内容に輝きがなければ、あるいは参考に値する情報が含まれていなければ、Aは与えられないのである。しかし、問題はある。「テニヲハ」がおかしいと、内容までおかしいと思う馬鹿の存在だ。教授が読めばAなのに、外国人の英語に慣れないTA(採点助手はたいてい大学院生)がBやCを付けてしまう場合がある。(こんな損をしないように、多少金を出してでも然るべき人に目を通してもらってから提出するように。そのためにはぎりぎりに書き上げていてはいけないよ。)

然るべき人だが。市場の英語だけの英米人ではだめだ。これを探すのはなかなか難しい。東京の出版社で英語の校正をする人を募集して、英語を第一言語とするアメリカ人数十人を私自身がテストしたが、出版レベルで使いものになるのは数人だけだった。まあ、東京には英会話で稼ごうという不良外国人がわんさといて、この機会に「文字物」に昇格したいと思って来たのだろうが、頭空っぽじゃなかなか無理だわな。

簡単に言うと、書き物を職業とする人か、大学院の博士候補に頼みなさい。ただの博士課程の学生はだめだアメリカ人でも君たちの英語の力以下かもしれないよ。博士候補なら、ある程度の質はあるし、低料金で見てくれる。(博士課程の学生と博士候補の学生の違いはわかるね。)

ああ、また学生指導になってしまった。元に戻る。ブログや口頭発表程度ならいざしらず、私は出版や予稿発表などに際しては、日本語であろうが英語であろうが必ず「然るべき人」に見てもらう。他人のものを見ることももちろんある。それでわかるのだが、チェックしやすい文章(日英両語とも)と「どっか余所へもってってくれよ」と言いたくなるものがある。理路が通っているならば、テニヲハと句読点、それに時制と冠詞をいじればいいのである。これは、いずれも第一言語バイリンガルでの第一言語を含む)でなければ至難の業で(しかし、後の習得でも、比較的若いときから時間をかければ可能)、ミスがあって当然と言っていいくらいである。逆に、見てもらわずに発表するのは怖いもの知らず

以上、今日も忙しいから見直さずにオンする。ミスだらけかもしれない。誤植その他のご指摘大歓迎です。しかし、以上の件は、ベテランの語学教師である私が言っているのだから(←またまた権威主義!)間違いがない。結論、小谷野先生の英文は悪いわけではありません。(因みに、小谷野先生の英文を、見てもらう余裕のないテスト場での答案文とするなら、減点するところはありません。)