Comments by Dr Marks

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星新一は、なぜ農学部に行ったのか

何だ。荻上チキという人の本名(=「実名」なんて大袈裟だ)はネットを激しく動き回っているじゃないか。しかし、時間的には小谷野先生の「非」暴露記事が先なのか、それ以前にネットに流れていたのか、調べたがよくはわからない。詳細は知らないが、人を批判するなら実名でやったほうがいい。前にも書いたが、「議論」という理論上の偽物ではなく、現実の「説得」という場においては、純粋な論理などありえない。その仮想上の「論理」を手繰る人間の属性が必ず伴ってくるのだから、匿名でも議論に差し支えないということはないのである。

もっとも、これは差しの勝負の場合や専門的な議論の場合であり、普通は匿名でも構わないと思う。普通というのは、悪口雑言の類がない場合であるが、批判の程度によっては、悪口雑言に準じて実名にすべきだろう。そもそも実名が嫌なら批判などするべきではない。新聞投稿などで匿名発表があっても、新聞社等は実名を把握した上での匿名による意見陳述であるが、ネットでは担保すべきものが何もない。勢い、無責任となるのは世の常だろう。

ようやく暇ができたから、荻上氏に関するネット上の情報サイトを本人のものを含め今日いくつか訪ねたが、こうなったらもはやジタバタしても始まらないだろうという印象だ。気兼ねしなければならないような勤務先は荻上氏にはもともと無理なのではないだろうか。今まで言いたい放題してきたのなら、それが続けられる環境で生きていくほうがいい。無理して勤め上げるなど愚の骨頂で人生の無駄遣いと老生は思料する。悪いことは言わん。好きなようにやって勤務先のあるいは顧客の度量を測ってみるのも一興ではないかね、荻上君。今さら実名が怖いわけでもなかろうし、信念によって物を言ってきたのなら、名乗り出る時期、あるいは大人(メジャー)になる時期なのかもしれないと思う。

つい、(猫猫先生が気にしているみたいだから)題目と違うことを書き綴ってしまった。本当は、題目のクイズのようなものを最相葉月とかいう人(ごめん、こんな名前初めて聞いた)が『星新一』という本の中でどう書いているのか興味があると言いたかっただけだ。小谷野先生がブクマ・コメント(←私の勝手な命名らしいが)を受け付けてくれればそれだけで済むような内容だった。「星新一は、なぜ農学部に行ったのか」について、著者が何か述べているだろうか。

新一(←これは筆名)は、顔だけの写真を見ていれば童顔で、どこぞのリーマン(=「勤め人」をこう呼ぶのを最近知った)風に見えるだろうが、実際は長身で貴公子然としていた。東京にいたとき、初めて会った(というより見かけた)ときにそう思った。波乱万丈の人生という点では、彼の父である星一(Hajime Hoshi)に遥かに及ばないと思うが、『星新一』はどんな本になっているのだろう。いずれ読む。

新一は、もちろん小金井良精についてだけでなく父親の星一についても書いている。ほとんどは実話と見ていい。父、一のやった仕事と、子、新一の東大農学部進学は関係があるはずだ。

さて、前回同様に、付かぬ落ちを一つ。荻上チキと星新一の父は関係がある。えっ? ごめん、血縁じゃないよ。どちらも学生時代からメディアに関わり、その知識で初めの収入源としたことだ。星一は今から百数年前のニューヨークで Japan and America という英語と日本語による新聞を発行した。現在この新聞は世界で13ほどの図書館しか所蔵していないが、当時の様子を探るには今なお資料的価値が高い。日本では東京大学総合図書館だけが保管しているが欠落部分が多い。なお、この東京大学所蔵のものは、大森貝塚で有名なモース博士が製本の上、東大に寄贈したもので、その旨を記した寄贈ラベルが張ってあるはずだ。モース博士が寄贈したのはこれに留まらない。関東大震災で蔵書を消失したニュースに接した博士が、自分の娘に命じて蔵書全てを東大に送らせたのである。その中の一つが Japan and America だ。

以上の事情については、最相葉月という人も書いているだろうか。知っている人は少ないから(あるいは私だけだから)書いていないかもしれない。一部の事情については、大昔に私が青山学院のある紀要に書いた。筆者名は、Mark W. Waterman という実名ではないからすぐにはわからないだろう。ナンチャッテ。