Comments by Dr Marks

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「年寄り好み」と「精神的ホモエロティックの風」(隠れた『猫猫』記事)

このところ、以前徘徊した日本のブログを急ぎ足に巡ったが、どうやら諸兄諸姉は年末の忙しさに紛れているらしい。コメントできないサイトも同様で、そんな中、猫猫先生が連載小説を発表しているのはむしろ例外的なのだろうか。

その小谷野先生の『猫猫』に「西部先生の性分」と題するブログがこっそり後付けで挿入されているのを発見した。連載小説第1回の直前だ。いつこの記事が実際に入ったのかは知らないが、25日という日付を本人が注記している。西部邁が、自分より若い者に妙に肩入れした挙句に結局放り出すという性分を書いているのだが、「性」という字が何となく「精神的ホモエロティックの風」と合っているから笑える。しかし、西部は東大を去ってからというもの、東大卒には肩入れしないと、小谷野先生は言う(あるいは、ぼやく)。

ホモ」と直接書いてはまずいと思ったのか、「ホモエロティック」などという通常使わない言葉を選んだうえ、婉曲な効果のためか「精神的」さえ頭に重ねている。おまけに小説を書くくらいだから、「」(ふうであれ、かぜであれ)まで足して怨念なしの爽やか風。(注:一説には homoerotic とは人と人との性的関係ではなく、精神世界や美的な世界での歴史・社会的な共同観念であるというから、本当は「精神的」は元々不要。)

昔、あるメディアで働いていた頃、年配の事務の女性に、あなたは典型的な elder’s pet(年寄り好み)だと言われた。そういえば、若い中間管理職などには(生意気なので)頗る評判が悪かったが、役員クラスの年寄りには可愛がられた。お陰なのか個室を与えられ若くして役員にもなった。今では逆で、自分が年寄りだから、どこか危ういところのある若者が可愛くて仕方がない。そう、有能だからとか、北大の中島岳志のようにふやけた坊ちゃん顔をしているからではない。「どこか危う」くても、何か一生懸命な若者は見ていて感じがいいのだ。

小谷野先生は、若くして阪大の常勤講師に招聘された事実がある。本来、年寄り好みの人に違いない。そして、年寄り好みは、少し年長の者に妬まれて苛められる。そいつらは、年寄り好みの匂いを嗅ぎつけて、年寄りのいないところで苛める。この苛めは、自分を顧みてくれない年寄りへの意趣返しでもある。