Comments by Dr Marks

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コメントにレスしないこと、またレスできないことへのコメント

   Review するなら Rebuttal の機会を与えるのが民主主義ではなかったのかね、
  民主日本の腰抜けネット野郎ども


私はコメントにはなるべくレスすることにしている。だから、南都さんなどと遣りだすと千夜一夜になるが、私はそれで構わないと思う。場合によっては、単に、「‥‥」でも返事は返事だ。実際、アメリカのブログなどでは、コメントとレスが延々と続くのはめずらしくない。

このブログ自体、コメントできないブログに対抗するために本家とは別に作ったのだが、多少私の誤解もあり、お陰で日本のブログ事情を勉強できた。いろいろ教えてくださった読者には感謝している。そして、いつの間にか3か月で3万の訪問を記録しているが、この無料カウンターも読者のsoorceさんに教えていただいたものだ。

また、コメントを受け付けない猫猫先生もときどきコメントくださるので、一切、梨のつぶての他のコメントを受け付けないブロッガーとは違うこともわかった。現在、連載小説をお書きなので、その間に余計なコメントを受けないようブクマを閉じているかもしれないので、小説には終わるまで何も言わないのがいいだろう。

しかし、コメントを受け付けながらレスしないブログは多い。それほどコメントが多いわけでもないのに、そうである。手紙に返事しないのも日本人の特徴だ。匿名とか実名以前に対話がない! だから、先日、取りようによっては私が半ば因縁をつけるがごとき私の不躾な私信にすぐさま丁寧な返事をくださった東大のS教授などは例外だと思った。(←名前を出したいほど偉いと思ったが止す。)出版社もおおむね駄目である。明らかな辞書の誤りや、教科書の誤りを指摘してあげても梨のつぶてだ。改訂版で生かされるのかどうかもおぼつかないのでもう止めることにした。まったく常設編集部がきめ細かな対応をしているWebsterとは大違いで呆れた日本人である。

小谷野先生は、小説連載とは別に、同じような苦言を過去の日付で書いているが、例えば、茂木博士への斎藤先生からの質問状など、その後どうなったのであろうか。これだけ一人芝居になったままであると、茂木博士が返事しないというよりは、斎藤先生側の出版社が勝手な嘘を付いているかもしれないなどと勘ぐられるではないか。(あるいは勘ぐられるように仕向けている。)

日本人が他人に対して肌理細やかな心を持っているなどと信じない。私はコメントを断る場合は必ずその人に理由を説明するか、ブログ上でも削除した旨を説明している。私の経験した(一部かもしれないが)日本人はそんなことをしない。いきなり削除してしらんぷり。削除しないまでも、知らぬ顔の半兵衛。人が集まったら挨拶し、何か話すのが自然だろう。無言は侮辱や敵意をあらわすわけだから、無言の彼らは全くそのつもりなのだろうが、そうだとすれば、日本人が本心は戦争好きなのがよくわかった(←なんて、誤解されるよ)。