Comments by Dr Marks

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Dr. Marks が小説を書く(Warning: May Contain Offensive Feline Material)

小谷野先生のブログは変で、後付で記事がある。『猫猫』の記事一覧を開いて、12月15日の分を出せば、「学者が小説を書く」が出てくるはずだ。文学者小谷野敦が場違いの5時間の政治番組に出たという記事のところだ。わかりにくいので、『猫猫』広報局としては、小説の前のほうに記事が隠れていることをお知らせしておく。なお、1月30日記すとなっているが、明らかに何かの間違いだろう。また、前回記事に求道士様の「猫猫のもてない男論(仮題)」のサイトを紹介しておいた。

今晩、ある長電話のために時間を取られなかったら、もうすでに小説を書き出しているはずだった。小説を書く気になった理由は沢山あるが今は言わない。ともかく、我々神学や宗教学の方面では、学者が小説を書くといえばシカゴ大学教授だった比較宗教学の泰斗 Mircea Eliade の名を忘れることはできない。そして、学者の小説など、学者が書いたということが話題なのであって、彼の場合も小説の内容や質が話題となることは稀であるという常から外れてはいないことでも有名だ。彼は研究書や編纂書は英語を使ったが、小説は母語であるルーマニア語で書いた。私の知る限り、たいした評判にはならず、英訳もないはずだ。しかるに先般、ルーマニア語に詳しい隆やんに聞いたら、日本語訳があるというのでビックリ。ほんまかいな、と思ったが、本当らしい。

猫猫先生は、英文学系の現在の東大教授の名前など挙げておられるが(大橋先生も書いたらとか‥)、夏目漱石は英文学者だったのだから(←学者としてはだめだという話も知ってはいますが‥一応、文学者)、学者が小説家として成功しないとも限らない。そして、猫猫先生は(夏目漱石よりも)明らかに文学者であるが、すでに小説を発表しておられるし、新しい連載もブログで始まっている。だから、土佐日記の書き出しではないが、おいらもしてみむとて‥というわけだ。しかし、上記のごとく、訳ありの2時間電話のお陰で、まだ題も決まっていない。ともかく、書き出しは次のようなある学者の著述からの引用で始めようと思った。ただし、現代の記述に書き直してあるだけでなく、現代人が読みやすいようにかなり手直ししてある。引用元は著作権が切れているが、いずれ明らかにするつもりだ。なお、横書き小説なので、漢数字はなるべくアラビア数字にしようと思う。

 明治39年6月1日の朝であった。車掌の声に驚いて、ベッドから起き出すと、われわれの乗っている汽車は、名高いロッキー山上のサミット(Summit)停車場というところに停留しているらしい。前日にはモンタナ州の一面渺茫たる大高原を次第次第に登り来たったのであるから、それほど高山の頂にいるという感じはしない。車掌に、ここは海抜でどのくらいかと聞くと、2マイルだと答えた。列車は30分ほど停留するというので、大方の客は車両を離れ、駅に降り立ったようだ。妻と私も、まず1杯のコーヒーを喫して体の内側を温め、それから外套を羽織って悠々と車室を後にした。

読者の皆さん、以下、読む気になるかどうかコメントください。読む気にならなければ止めます。また、原稿を買いたい文芸出版社員は連絡ください。連載が欲しい週刊誌や新聞でもかまいません。早い者勝ちですよ。ナンチャッテ。