Comments by Dr Marks

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Dr. Marks のまだ題のない小説(その2)

DrMarks2008-01-04

[Warning: May Contain Offensive Feline Material]


なんだかんだ言って、今日出歩いているうちに二三回分の構想はできてしまった。しかし、歴史的なことは些細なことでも調べなければならず、本職の研究と似た面があることに気づいた。改めて言うが、小説など書いたこともないし、書こうと思ったことさえないのだから、一々、自分なりの発見があるわけだ。

第1回の書き出しに、わどさんがコメントしてくれたが、それに対する私のレスにもあるように、これはモンタナの高原を経てサミットに来たわけで、西から東ではなく、東から西に向かっている旅だ。今でもそうだが、アメリカの鉄道は、東からの諸々の線路がミッドウェストのシカゴに集まる。そして、西に向かっては3本の路線に別れ、北のノザーンパシフィックがシアトル港に、南のサンタフェロスアンジェルス港(ロングビーチ港)に、真ん中のユニオンパシフィックがサンフランシスコ港に繋がる。本小説の主人公高橋哲(千太郎)と妻のアン(アナマリー)は、シアトル港に向かっていることになる。実は、最も便がいいのはサンフランシスコ港なのだが、なにゆえシアトルなのか、以後、乞うご期待!

なお、この小説の中で実名は Dr. Cleveland Abbe だけで、他は匿名、おっと間違い。フィクション上の登場人物だ。モデルはいる。

人は死んだ時期が早いがために後に名を残す場合と、逆に長生きしたがために世に知られる場合とがある。ノーベル賞文化勲章などは、長生きしなければもらえない場合のほうが多いが、よくあることで、若いときに偶さかのビギナーズラックで世に出るが、その後は続かず凡才を曝け出して老いさらばえる例も少なくない。果たしてこの男はどうであったろうか。

急に調子変わって、この続きですがー、意外とー、疲れるのでー、週明けになるかもしれません。いつものとおり、忙しい週末が始まりますのですみません。(それにしても、早い者勝ちだって言ってるのに、シャイじゃいかんよ、シャイじゃ、編集者はどこ? Where are you?

  予想はしたが、早朝ということもあり、外はかなり寒い。妻のいつもの薄いピンクの顔色が、鼻の辺りだけ道化のように赤みがかって、他は異様に青白い。しかし、流石にジューン(June)となったので、いかにも高山の花らしい黄色の可憐な花が咲き乱れ、屈託のない笑顔の妻に似つかわしい朝だ。車窓からの眺めは一幅の絵であり、暖を保った車中からの一興は、あくまでも安閑とした虚構の有様であることが、全身に染み入るような現実の寒さによって思い知らされるものだが、この女はまだ現実を知らない。
  無理もない。裕福な商人と学者しかいないような家庭で育ったこの女は、世に荒波の存在することすら知らず、「人生の海の嵐」などは教会にて賛美歌の世界にあるのみと、…いや、そんなことすら思いに浮かんではいないだろう。妻が首都ワシントンを出ずるときの唯一の残念は、幼時より親しみしピアノとの別れであった。東京にて別のものを入手する算段をして、漸くにして別苦の思いを断ち、小さなマンドリンだけを携え来たった。


「ははは、センタ、どうしたの。寒いの。眉間に皺ができてるよ。ははー、また難しい数式を考えてるのね」


  しかし、不思議なもので、荒波を知らぬと荒波に弱いかと思いきや、あらゆることに屈託がない。お陰で神経質な私が日々楽しんで来られたのも、この女の何事にも前向きな性格による。心配性な私は、しょっちゅう眉間に皺を寄せているらしく、妻は新婚のときから、そのつど心配そうな顔をするので、一計を案じて、今、数式を思念中なり、と答えたところ、以後は素直にそう信じているらしい。
  センタとは千太郎という私の名前のことだ。2年前の6月6日に、クリーヴランド・アッベ博士の媒酌で結ばれることになったが、博士の遠縁の娘であるこの女が私の前に現れたときは、ドクター・タカハシと私を呼び、その後親しくなってからは、テツ、テツと呼んでいたのに、いつの間にかセンタになってしまった。彼女によれば発音が楽で、音の調子も明るいからだそうだ。
 そんな馬鹿なことがあるものか。自分はこの屈辱的な名前から決別するべく、高橋千太郎を改めて高橋哲と名乗ってきたし、青山の卒業証書にもそう書いてもらった。しかるに旅券が Sentaro Takahashi であるから、アメリカでは已む無く S. Tetsu Takahashi と名乗って、Tetsu は旅券に現れざるミドルネームなりと説明してきた。コロンビアの博士の学位記も、アッベ博士から招聘された気象庁においても、私は一貫して S. Tetsu Takahashi で通してきた。S はあくまでもエスであり、センタではないし、千太郎でもないつもりでいた。
  ところが婚姻の数日前、彼女アンは、S は何の略かと聞いてきた。已むを得まい。妻となる女にイニシャルのままでは都合が悪い。センタロウなりと告げるや、センタと呼んでいいかと聞いてきた。ノーというわけにもいかない。だいたい、アンの本名はアナマリーなのだが、皆が短くしてアンと呼ぶ。よって、私をセンタと呼んでも不都合はない。しかし、また、選りにも選って、何ゆえセンではなくセンタなのだ。
  今でもときどき、ふと「郎」抜きで「千太」と怒鳴る長兄の声が耳元に響く。長兄は亡き父の先妻の子で、私とは親子ほども歳に隔たりがある。父も母も亡きあとに、親代わりで育ててくれたことはありがたいが、居心地のいい家ではなかったので、小学校を卒業してからは、ふと飛び込んだ教会の牧師の世話で、青山学院の学童として寄宿舎に入れてもらい雑用を手伝いながら勉強させてもらった。
  兄との決別を期に、千太郎を改め、哲と名乗った。どうしてかといえば、何のことはない、子供の頭では理屈もヘチマもなかった。たまたま中等部で哲学という言葉を覚えたので、千太郎という長い名前よりも、1字で哲が偉そうでよかろうと思ったにすぎない。そもそも、私の親も親だ。一太郎でも三郎でも五郎太でも、あるいは八郎でもいい。それなのに千とは何だ、屑の寄せ集めか、と子供心に考えたものだが、今思えば勝手な鬱憤を積もらしていたにすぎない。
  帰国ともなれば、今も神田の美土代町に住むこの兄にもアンを紹介せざるをえまい。10年の歳月の間に、兄からの手紙はほとんどなかったし、自分も数回出したにすぎないが、帰国に当たり現在の身上を伝えたところ、今も同地に安穏に暮らしているらしい。長らく勤めた東京市庁を定年で辞し、文面には、昔とは異なり、弱気なことが幾つも書き連ねてあった。


「センタ、今日は日没前にスポケーンに着くそうよ。さあ、汽車に戻りましょう」アンの明るい声で我に返った。

行を少し短くするために写真を入れてみたが、写真は今朝収穫する前の我が家のトマト。温かいLAでは正月でもこんなに大きなトマトが勝手になってくれるので、これを称してウラナリとは言わず、volunteer と言う。辞書にはないかもしれないが、ともかく、そう言うのだ。