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Dr. Marks のまだ題のない小説(その9)

DrMarks2008-01-12


Jun-jun 先生、Nanto さん、コメントありがとうございます。

やるべきこともやらず、今日はとうとう小説を書くために図書館資料を初めて漁ることになってしまった。前に述べたように、私は1900年前後の日米事情についてはかなり詳しく、ほとんど年号や人名をネットで確認する以外は頭の中にある。日本でもその頃の一次文献を大学などの書庫の中で根暗(ネクラ)に読んでいた時期があるからである。その頃の資料はしかし全部捨ててきた。今、手許には何もない。

今日は、高等師範学校のことを書くために、リクエストしておいた『茗渓閑話』という本を夕方取りにいった。この本は、まさにこの小説の頃の高等師範学校の話であり、何事か役に立つだろうと思ったからである。こんな100年も前のマイナーな本がLAで読めるから嬉しい。

どこの所蔵かというとUC(University of California)諸校のカリフォルニア州南部地区の共同所有だ。しかし、実際のこの書庫はUCLAの構内にあるので、UCLAの本といってもいいくらいだ。ただし、閲覧室も何もない純然たる本の置き場であるため、研究図書館のカウンターなり、どこか指定したところに持ってきてもらうことになる。この請求等はすべてコンピュータで行われ、学内電話も不要。何時ごろに届けてくれるかも自動的に通知される。

ついでに東亜図書館書庫に明治41年版の学校案内があったので、正確さということで、これからの記述に満を持すために借り出した。(たかが「小」説なのに、俺って凝り性だな。)驚いた。高等師範って難しいんだぜ、入試が。この場合、東京高師ね。女高師のほかに、この物語の数年前に広島に高等師範ができてはいるが、入学希望者に対して、合格者は全員。つまり、誰でも入っちまった。しかるに、(東京)高等師範学校は合格率わずかに12−13%だ。高梨君、すごい!

(写真はUCLAの Powell Library という学部図書館。この北方に高層の研究図書館 Young Library があるが味も素っ気もないビルディングで絵にならない。東亜図書館は、研究図書館の2階にある。)

 住んでみれば、陸大の官舎は、いろいろと妻のアンには不都合な家であることがわかった。当初は物入りなので我慢するとして、おいおい西洋館でも借りたほうがよかろうというのが岡本理学士や校務主任の考えだった。青山学院にも行って住宅事情を伺おうとしたが、この10年の歳月で懇意な外人教師もいなくなり、なかなか要領がえなかった。
 それでも、月日の経つのは早いもので、妻と私は人力車で兄や恩人の家々をめぐったり、名所などを案内し、秋からの授業の段取りなどをしているうちに、8月の末も間近となってしまった。その間、高梨一等卒は何くれとなく我らの世話をしてくれ、妻一人の外出にも軍服での護衛をなし、どれほど助かったかしれない。
 我々が人力車で移動しても、彼は徒歩で従い、妻には到底無理な風呂の薪の手配なども万端を整えてくれた。それもそのはず、彼は実に苦労人であった。二十歳過ぎて高師に入るという事情から容易に察することはできたが、誰もが高梨の無私の奉仕の心と自助の気概には感心せざるをえなかった。岡本理学士からの口添えもあり、服務優秀として、除隊に当たり上等兵に昇進することも決まっていた。


「そうか、高梨、高師に入る前に徴兵が来て、一年志願の恩恵にも浴せなかったというわけだね」
「はい、まだ入学していないのだから、一年志願は無理だと言われました」
「入学前に徴兵年齢に達したとは、苦労があったのだろうね」
「いえ、苦労とは思いませんが、尋常小学校を出る頃に母が働けなくなりまして、自分は給仕として母が働いていた日本橋の会社に入れてもらいました」
「ほう、私も青山で給仕をしながら中等科で学んだのですよ。いわゆるスクールボーイだね」
「ええ、奥様からそのことは伺っています」


 高梨は、少し躊躇しながら、「博士はクリスチャンですか」と聞いた。
「もちろんだよ。しかし、青山学院は今たいへんだ。先般の文部省令でキリスト教系の学校は種々の恩典が制限されている」
「徴兵猶予の撤廃もそうですね」
「そうだ。それで、アメリカの新聞にその辺りのことを批判的に書いたことがある」
「実は、博士、私もクリスチャンです」
「いつからかね」
「話せば長いのですが」と前置きして、高梨は語りだした。
「給仕をしているときに母は病が癒えず結局亡くなりました。それで、母の故郷松山の伯父に引き取られることになり、幸いにしてできたばかりの私立の北予中学校というところに入れてもらったのですが、やはり寂しくて寂しくてなりませんでした」
「それもそうだろうね」
私は、自分自身が、父母なしで腹違いの長兄の家で育ったことを思い出したが、そのことはあえて口には出さなかった。


「どうやら、伯父は中学を出たら士官学校にでも行ってほしかったようです。高等学校にまで行かせる金はないと言われました。それは当然です。しかし、その頃、松山の二宮邦次郎という牧師を知るようになり、十戒の六『汝殺すなかれ』が心にかかり、むしろ、師範学校の2部に編入して教師になろうと思いました。師範学校なら学費は不要です」
「なるほど」
「しかし、伯父は承知しませんでした」
「なぜ」
士官学校なら賄い付きです。師範学校は授業料はありませんが、生活は自弁です。それに見栄っ張りで体面ばかり重んずる伯父は、私が松山中学に行けずに新設の北予中学に行っていることも気に入らなかったのです。それもそうです。私は勉強の機会などなく、北予中学に入ったときに既に16でした。だから、ぜひとも士官学校に行ってもらって、松山中学に通わせている親たちの鼻をあかしたかったようです」
「驚いたね。伯父さんの気持ちもわからんではないが、それではますますあなたは辛かったろうに」
「更に、私が牧師にそそのかされてヤソを信じて、士官学校を断念したことを知ると烈火のごとく怒りました」
ますます私と同じだ、と私は密かに思った。
「ところが、博士、どこで聞いてきたのかわかりませんが、伯父のほうから奇妙な提案をしてきたのです」
「ほう、どんな」
「高等師範に行け。高等師範なら華族様の家庭教師をしてでも卒業できると聞いた、と言うのです」
「中学の教師にそのことを相談したら、それは北予の名誉でもあるから、ぜひがんばれ。受験案内の書物などは学校で揃えてやると言われました」


「それで英語科というのは英語が好きだからなのかね」
「それもあります。だから、卒業したら中学校か師範学校の英語の教師になるつもりでいます。しかし、私は、英語を通じて聖書や哲学も学びたいと思っています」
「いっそ、神学校に行くつもりはないのかね」
「クリスチャンである博士の前では申し上げにくいのですが、聖職者にはなりたくありません」


 高梨はそこでそれ以上語るのを止めてしまった。私もそれ以上聞く必要を感じなかった。