Comments by Dr Marks

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Dr. Marks のまだ題のない小説(その10)-- 予告編

DrMarks2008-01-13


いやはや、暴露されてしまった。些細な暴露ではあるが、今回の挿話の前に暴露されてしまったことが、ワタクシ的には一大事。連載が、先回りされてネタばれではお終いだ。嗚呼、暴露王こと、猫猫先生

歴史とは何か? 南都さんへのレスにもなりますが、追加で一言。歴史的一次資料というと、当時の新聞や雑誌もふくまれているというのが常識だ。そして、常識的にはそれで間違いではない。しかし、考えてほしい。小谷野先生も「拝啓新聞陛下」と書いていたように、今の新聞が今の嘘を書いているように、当時の記事だからといってそれを真に受けてはならない。それでは歴史家失格である。そもそも、新聞は社会の木鐸などではなかった。ピュリッツァーもハーストも、新聞王は皆ゴロツキだった。念のため、ついでに言うと、本人が書いたから本当かというとそれも怪しい。例えば、この物語の主人公が日本に帰ってから書いたものと、アメリカの大学のファイルに現存する彼の手記とには矛盾点がある。参照:http://markwaterman.blogspot.com/2008/01/what-is-history.html

そうだ、岡本捨松理学士とは後の岡田武松理学博士のこと。なお、現在の大学を出た若い人からすると「理学士」などと大袈裟なと言うかもしれないが、当時、帝大の学士以外は「学士」とは言わなかった。それ以外の高等教育機関で得た学士の学位ならびに称号は、「XX大学」学士と付けなければ学歴詐称のそしりをまぬがれなかったほどだ。また、主人公高橋哲への呼びかけである「博士」も大袈裟と思うだろうが、当時、全米で授与される博士の学位は年間300人ほどであり、高橋哲はアメリカでも稀なエリートであった。当時はアメリカでも、地方の大学教授のほとんどは博士の学位を持っていなかった。

実在の岡田武松博士に戻れば、彼が首都ワシントンの気象庁所長アッベ博士と親交があったことは事実。また、頻繁な文通によって、この物語の主人公であり、アッベ博士のお気に入り高橋哲と親しく交わり、当時の日本の気象台長である和田雄治とともに岡田武松が陸大と高師を主人公に紹介したのも事実。ただし、詳細は出鱈目なフィクション。詮索しても無駄。(主人公高橋哲もフィクション名、いずれ実名がわかる人も出てくるであろうが、ネットレベルでは絶対探せない〔と思う〕。唯一、この物語を読んでいる〔はずの〕ある日本人がわかるはずだが、流石に沈黙を守っていてくれる。感謝。)

これ以上書くと面白くなくなる面もあるだろうが、小説は「小」であっても「説」は説、単なる物語ではないから、主人公の結末がわかられても屁の河童。アンの結末までは更に難しいだろうし。

いつもの通りこれから忙しいが、なるべく一つのまとまりでリリースする。しかし、まあ、こちらは金曜日なのに、先付けで日曜日だから、少し休んで時間調整するかもしれない。なお、先付けができることは青山一郎とかいう人のブログで知ったし、後付けもできることは『猫猫』で知った。

あっ、予告編がある。実は、この舞台となっている年(明39、1906)に、七つボタンの海城中学が発足し、この物語に登場することになっているが、誤解のないように。この私立中学の後進である現在の海城高校猫猫先生の母校であることは今になって気づいただけ。たまたまの偶然で、小谷野先生とは関係がない。いくら私でも、海城中学発足の年まで合わせて小説が書けるわけがない。偶然、偶然‥‥。ホントだって。この頃、あることから、この学校は海軍兵学校よりは一高→帝大を目指すようになるの。ですよね、海城高校卒業生の皆様。嗚呼、東大一直線物語。

(写真は海城中学の制服。七つボタンにラッパズボンに注目。)