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Dr. Marks のまだ題のない小説(その10)

DrMarks2008-01-14


今回の連載で、海城中学はまだ出てこない。やきもちさせてもいけないので言うと、アンが当時は麹町区にあった海城中学校で英語を教える話がいずれ始まる。また、今回はサービスで、この小説の主人公のモデルの写真を公開する。多分だが、1898−1899年の撮影で、この物語の舞台の1906よりもだいぶ前の写真である。(お知らせ:週末は執筆を休みます。)

 高梨上等兵は去り、我らは、新しい従卒は断り、2人だけの生活となった。9月となってほどなく、高師に入学手続きした高梨から、茗渓の第3寮に寄宿したとの葉書が来ていた。
 その日は9月とは名ばかりで、夏がそのまま留まったような日曜の午後、教会から帰って上着を脱ぎ、寛いでいた。教会は当初、青山の神学部のチャペルに参じたりしたが、結局、新装成った銀座教会に籍をおくこととした。ワシントンではアンの家族とともにルター派の教会に臨んでいたが、アンの希望で私が青山以来属していたメソジスト派に集うことになったからである。


 北向きの部屋を開け放して籐椅子に座っていると、玄関口で声がした。
「御免ください、岡本です。博士はご在宅ですか」
 休日に来るとは珍しいと思っていると「内密な話があって参りました」と言う。しかし、そう言っておきながら、なかなかその話にはならず、ときどき見せる苦しそうな表情をするだけであった。内密な話だというから、妻を去らせ2人だけの応接間で、不自然な時がしばらく流れた。


「博士、さまざまに努力はしてみたのですが、私は陸大を去らなければなりません」
「それは唐突に、どうしたのですか」
「博士には唐突のことで、非常に心苦しく思っております」
「私に唐突という意味は?」
「実は、井口新校長が着任してから、気象学に対する陸大での評価が変わってしまったのです」
「新校長は2月着任でしょう」
「その通りです。しかし、実際の方針の変更は、博士が着任する少し前になってようやく提示されたため、今まで折衝を続けてまいりました」
「それでは私も去らなければなりませんね」
「いえ、博士はその必要はありません。しかし、教授する教科が変わりますので、今日はそのこともあって参ったわけです」
「何を教えるのでしょうか」
「数学と物理です」
「岡本さん、それは覚悟の上ですよ。気象学だけ研究して気象学だけ教えていればよいとは初めから思ってはいませんでした。それに、私は数学や物理学を教えるのが好きです」
「そう言っていただけると安堵はいたしますが、今期の授業に気象学はないのです」


 流石に、気象学を一切教えられないと聞くと落胆した。自分は何のために帰国したのか。私の顔の曇りを察した岡本理学士は、急いで言葉を付け足した。


「できるだけ早く気象学を教授できる学校を探すようある人に依頼しております。実は、これは新校長による前校長と私への当てつけなのです。前校長である藤井少将と井口新校長はともに陸大の一期生でドイツ留学組ですが犬猿の仲です。私はたまたま藤井少将の弟である海軍大学校教授の藤井大佐と懇意で、日本海海戦での勝利に陸大の私が気象上の助言をなしたために大勝利を収めたとの根も葉もない噂が流れました。それに対する、陸大と新校長の海軍大と私らへの意趣返しと思っている節があります。全くの誤解です」
「なるほど、それで岡本さんはどうされるのですか」
「まさか海軍大学校に行くわけにもゆきません。中央気象台に戻ります。私はもともと中央気象台にいたのです。気象台長の和田先生に『すぐ戻れ、博士の学校も何とか探す』と言われました。私が依頼したある人とはこの和田雄治先生にほかなりません」


 非常に驚いた。しかし、気象台は文部省の管轄とやらで、文部省下の諸学校大学には、この和田先生は相当に顔が利くとのことであった。気象の予報は得意でも、世事の予報はままならぬこと。