Comments by Dr Marks

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「おなじみの物語」にある<おなじみとは言えない物語>について Afterthought

小谷野先生がコメントくださった「『バベルの謎』がたとえば梅原の『水底の歌』のように、間違っていても面白い、というならまだいいのですが、私[←小谷野先生]には面白くなかったです。全体あの本の結論は何なのでしょう。」を朝食をとりながら考えた。

 やはり、『バベルの謎』は、cohererency(首尾一貫性)の欠如ではないかと思う。自分の興味にまかせてあちこちに飛ぶのはまさしく自分でも(著者長谷川氏)「冒険小説」ということであろうが、行く先々の事項はすでに明らかな者にとっては nothing であるし、それに対するいちいちの愚にもつかないコメントは nonsense である。それに比べて、『水底の歌』は独断の書ではあってもあらかじめしっかりした構想の下に著したものであることがわかる。

 長谷川氏に対しては、私は本来どうでもいいのではあるが、よくよく考えてみると、編集者の一人として、関係した著作には著書同様の矜持というものがある。いくら売れようと、ゲラになってからも初歩的勉強をし直している(←こんなのは学者の良心ではないよ、諸君、間違うな)ような著者に、内心はあきれ果てていたのではないかと思うほどだ。多分、思い過ごしかもしれないが、編集者が可愛そうだ。

Another Afterthought after Afterthought: 私が日本にいたのは大昔なので、和辻哲郎文化賞などは何のことかわからなかった。「文化」とついているから大層なものであると思ったが、この賞には二つの部門があることを先ほど知った。すなわち、一般部門と学術部門である。長谷川の作品は文学作品であり、一般部門の受賞作だ。学術部門の受賞作などではない。それなら、なぜ中公文庫のカヴァーはその旨、正しく明記しないのかといぶかしく感じるが、ともかく学術書ではないのだ。だから、小谷野先生がいみじくも語られたように、一般部門の梅原猛が自分よりは下手だがうまく書いたので賞を上げようということだったのだろう。(梅原より家柄はいいから。←また、こんなこと。)
 現在の選考委員を見ると関根清三がいる。ただし、学術部門だ。親の仕事をそのまま継いだ奇特な息子だが、彼も親同様に一応は旧約学者だ。一応というのは、もともと倫理学の出なので、フォーカスもそのあたりにあり、ばりばりの旧約学プロパーということではないことを指す。もちろん、私などよりヘブル語等は専門なので『バベルの謎』に何と言うか興味があるが、部門は違っても選考委員なので何も言えないのではないかと思う。
 ともかく、この作品は文学作品であることを知った。学術書ではないのだから、学者が横槍を入れない理由もわかったが、賞という権威と出版社がグルになって「学術書」めかせて儲けているとするとさらし者の著者(受賞者)も可愛そうだ。